2008年07月09日

自動車[チョロQモーターズ]

世界の自動車メーカーチョロQモーターズ



CQモーターズ(しーきゅーもーたーず)は電気自動車のミニカー (車両)|ミニカーを製造している自動車メーカー。2002年にチョロQモーターズとして設立され、タカラ (玩具)|タカラ(現タカラトミー)の子会社だった。
2008年現在も、電気ミニカー「U」を製造販売している。



概要

フォルクスワーゲンの専門チューニングカー|チューナーであるコックス (自動車チューナー)|コックスの社長がタカラのチョロQのファンだったことが始まりだった。タカラはQ-CARを「実車版チョロQ」として位置づけ、コックスの協力の下、電気自動車ビジネス参入を図った。体制は、
EVシステム供給はアラコ、
型式認証取得及び生産はコックス、
販売はチョロQモーターズ
というものであった。



会社概要


  • 商号 CQモーターズ株式会社

  • 代表者 代表取締役社長 田中光明

  • 主要株主 株式会社e-Waves

  • 設立 2002年



    歴史


  • 2002年2月 - チョロQモーターズとして設立。Q-CARの製造・販売を開始。

  • 2002年 - チョロQモータースの専門ディーラーが東京お台場にオープンする。

  • 2003年10月6日 - MINEサーキット(山口県美祢市)の経営権を取得。

  • 2004年 - ル・マン24時間レースに日本から『チョロQ』チーム参戦

  • 2004年 - 実車版チョロQ(Q-CAR)の製造を終了

  • 2006年1月17日 - MINEサーキットをマツダに譲渡(サーキットは2月28日に閉鎖)。

  • 2006年3月1日 - 「CQモーターズ株式会社」に社名変更。15日本社を千葉県いすみ市深堀1751番地11に移転。



    歴代の車


  • QQ  (2002年)

  • Q-car (2002年) 千葉マリンスタジアムがリリーフカーとして1台保有

  • Qi  (2002年)

  • トゥー(2003年)

  • Qi特別仕様車(2003年)

  • U-フィッシング(2004年)

  • QVOLT (鳥山明プロデュース)



    関連項目


  • チョロQ



    外部リンク


  • CQ MOTORS

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    2008年07月08日

    自動車[ホームページ]

    世界の自動車メーカーホームページ


    ホームページ ('''') とは、ウェブブラウザを起動した時や、多くのウェブブラウザに存在するホームボタンを押した時に表示されるウェブページのことである。スタートページともいわれる。また、後述のように本来の意味から派生した用法もある。



    概要

    ホームページの用法には現在でも揺れが見られるが、おおよそ以下のように分類できる。
    ・ ウェブブラウザの用語で、ブラウザを起動した時や、多くのブラウザに存在するホームボタンを押した時に表示されるウェブページ。
    ・ インターネットの用語で、ウェブサイトの入り口、インデックス|最上位階層にあたるページ。
    ・ ウェブページの意。あらゆるウェブページ一般を指す。
    ・ ウェブサイト全体を指す意味として。
    ・ さらに飛躍して、インターネットのシステムそのものの意。
    ・ 個人が運営するウェブサイト。(通常、ブログは含まない) 
    ・ 企業・団体が運営する公式ウェブサイト。
    : また、「ウェブサイト」と「ウェブページ」も若干意味が異なる。それぞれのリンク先を参照。



    ホームページという言葉

    ホームページという言葉は本来、ウェブブラウザを起動した際に表示されるウェブページの事を指す(上記例1)。しかし、言葉の誤用が広まり現在では上記のように別の意味としても広く使われるようになり、辞書にも本来の意味と併せて(上記例2・3・4)の用法を掲載しているものもある。日本などの一部の国では「ウェブサイト=ホームページ」が広く誤用されている。ウェブページやインターネット全般を指すのも本来の用法ではない。日本国内では、ホームページと称する場合、(上記例1)の「ブラウザのホームボタンに登録されたウェブページ(本来のホームページの意味)」よりも、(上記例2)の「ある特定のウェブサイトのトップページ」を示す用法、(上記例3)の「ウェブページ」、(上記例4)の「ウェブサイ\xA1 %H!W$r;X$7$F;H$&798~$K$"$k!#MW$9$k$K!"%&%'%V%V%i%&%6$rDL$7$F8+$kJ*$rA4HLE*$K!Vホームページ」とひとくくりにするのに近い形で使われる。こういった用法がマスコミュニケーション|マスコミなどでも多用されたことが、誤った用法を広めることに繋がったと思われる。最近では企業・個人を問わず、各種インターネットサイトでは「ホームページ」よりも「ウェブサイト」の表記が増えている傾向にある。加えて、更新が安易なブログが普及してきたことにより、個人の管理運営するウェブサイトの事を「ブログ」と呼ぶケースも増えている。ただしそれは、そのウェブサイトを構築しているシステムがブログで構成されていなければ誤用である。また、(上記例5)「インターネットのシステムそのもの」も誤用であり、インターネット初心者が使用することがある。例えば、一切インターネットブラウザを使わないインターネット電話やメッセンジャーサービスといったものを、「ホームページ」と誤用ぁ 9$k>l9g$ G$"$k!#$^$?!"!Vホームページ」は私的なイメージであるのに対し「ウェブサイト」は公的、公式なイメージとして取り扱われる場合もあるが、本来の言葉の意味を考えると正しくはない。「ホームページ」をウェブサイト全体という意味で使うことが多いのは、日本や大韓民国|韓国、ドイツなど一部の国で見られる現象である。アメリカ合衆国|アメリカでは(上記例1)の「ブラウザのホームボタンに登録されたウェブページ」 や(上記例2)の「ウェブサイトの入り口」の意味として限定的に用いられるのが一般的である。



    省略されたホームページ

    ホームページ」の省略形としてHP、ホムペなどといったものもある。これらは単に省略して言っているだけなので、上記の用例の意味のままで、それ以上に意味が加味されたり減るということは無い。ただし英語圏では「HP」は米国の企業、ヒューレット・パッカード社の省略名として定着しており、そのままの省略したのでは通じない場合がある。外国人が読むと思われる文章を書く場合はむやみに省略せずに書くか、「website」や「webpage」と明確に記載することで誤解は避けられる。また、日本語でもHPは別の意で使われることもあるので、注意が必要である。



    関連項目


  • World Wide Web (WWW)

  • ウェブサイト

  • ポータルサイト

  • :en:Homepage|en:Homepage


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    2008年07月07日

    自動車[トヨタ自動車]

    世界の自動車メーカートヨタ自動車


    トヨタ自動車株式会社(トヨタじどうしゃ)は、愛知県豊田市、及び東京都文京区に本社を置く自動車メーカーである。他に名古屋市中村区に名古屋オフィス等をはじめとして各地に拠点を有する。このトヨタ自動車の本社のある豊田市はトヨタ自動車社長の「豊田」(とよだ)姓から由来しており、現在の地名となっている。
    |略称 = トヨタ / TMC
    |国籍 =
    |郵便番号 = 〒471-8571
    |本社所在地 = 本社:
    愛知県豊田市トヨタ町1番地(地番)
    東京本社:
    東京都文京区後楽一丁目4番18号
    名古屋オフィス:
    愛知県名古屋市中村区名駅四丁目7番1号
    |電話番号 = 0565-28-2121(本社直通)、
    +49(0)22341823444(トヨタF1チーム)
    |設立 = 1937年8月28日
    |業種 = 輸送用機器
    |統一金融機関コード =
    |SWIFTコード =
    |事業内容 = 自動車(#現行車種(TOYOTAチャンネル)|現行車種を参照)
    |代表者 = 渡辺捷昭(取締役社長)
    |資本金 = 3,970億円
    |売上高 = 単独:10兆1,918億円
    連結:21兆369億円
    |総資産 = 28兆7,316億円
    |従業員数 = 単独:65,798人
    連結:285,977人
    |決算期 = 毎年3月31日
    |主要株主 = 日本トラスティ・サービス信託銀行 6.08%
    日本マスタートラスト信託銀行 6.05%
    豊田自動織機 5.55%
    |主要子会社 = トヨタ車体 56.03%
    豊田中央研究所 54.00%
    関東自動車工業 50.08%
    ダイハツ工業 51.19%
    日野自動車 50.11%
    他多数
    トヨタグループも参照
    |関係する人物 = 豊田佐吉(創業者)
    豊田喜一郎(創業者)
    張富士夫(取締役会長)
    中川勝弘(取締役副会長)
    |外部リンク = www.toyota.co.jp
    |特記事項 = 経営指標はいずれも2006年3月期決算
    }}



    概要

    日本はもとより世界でも最大級の自動車メーカーであり、日本最大の企業。2007年の世界販売台数はゼネラルモーターズがトヨタ自動車グループを抑えて首位の座を維持したものの、その差はごくわずかであったトヨタが07年世界販売でGMとほぼ互角、今後のカギは新興国。ロイター。フォーチュン|Fortune Global 500の2007年売上高ランキングでは、ゼネラル・モータースの5位につづく6位で、自動車メーカーではダイムラークライスラーがそれにつづき8位につけている。
    また、ダイハツ工業と日野自動車の親会社であり、富士重工業の筆頭株主でもある(株式保有比率 8.7%)。通称「トヨタ」(日本のテレビ局・ラジオ局では、2005年7月より「トヨタ自動車」を改めこの呼称を使用)、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。社長は渡辺捷昭(わたなべ かつあき、1942年2月13日、豊田市出身、慶應義塾大学経済学部卒)。テレビCMには芸能人を積極的に起用しており、この傾向は子会社のダイハツ工業や業務提携先の富士重工業のCMにもみられる。



    沿革

    豊田佐吉(とよだ さきち)(1867年〜1930年)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)に、1933年9月に開設された自動車部が起源である。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎(1894年〜1952年)であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿(喜一郎にとっては義兄〔家制度|旧戸籍法では妹の夫が本人より年上である場合、義兄と言う扱いとなる為〕)である豊田利三郎である。織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年に自動車製造を開始。1937年に独立した新会社「トヨタ自動車工業株式会社」が設立された。誤解されがちだがトヨタという社名は豊田市で創始されたからではなく、創始者である豊田の名前からである。豊田市は元々、挙母(ころも)市という市名だったがトヨタ自動車にちなんで1959年に改名された(本社所在地も「トヨタ町1番」である。企業城下町\xA1 $NE57?!K!#AO;OA0$,M3Mh$J$N$GK\Mh$J$i!V%H%h%@!W$K$J$k$H$3$m$@$,!"!V%H%h%@!W$N2h?t$O10で縁起が悪いということになり、濁点を取って8画にした「トヨタ」が使われるようになったと言われている。利三郎は太平洋戦争が勃発した1941年に会長に退き、第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。太平洋戦争時は陸軍用のトラックを生産したが、物資不足のため簡素なものだった。 愛知の工場は米軍による爆撃が予定されていたが、その前に終戦となる。戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任、帝国銀行(後の三井銀行、現・三井住友銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。これを工販分離という。喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはトヨタ・クラウン|クラウン、トヨタ・コロナ|コロナ、トヨタ・パブリカ|パブリカなどロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。その後中澄 nIT4oCKトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売は合併、現在の''トヨタ自動車''株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郎が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のトヨタ・ビスタ|ビスタ、1984年のトヨタ・ハイァ i%C%/%9%5!<%U|ハイラックスサーフ、1986年のトヨタ・スープラ|スープラ、1989年のトヨタ・セルシオ|セルシオ、1990年のトヨタ・エスティマ|エスティマなど次世代のトヨタを担う車種を投入し、販売高トップの座を不動のものにした。1992年に章一郎は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。奥田は業績が下り坂になりつつあったトヨタを再生させ、1999年のトヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、連結会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年にはネッツ店とビスタ店が統合され、ネッツ店として再出発した。2005年にはトヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が出来上がった。8月にはレクサス|レクサス店の日\xA1 K\F3F~$r2L$?$7$?!#F1G/$K$OEOJU>9><


    創業家としての豊田家の存在

    「豊田家はトヨタグループの求心力であり、旗でもある」(当時の奥田碩|奥田会長談)とあるように、創業者一族である豊田家はトヨタグループ各社の中核を担う。創業家の長期に渡る介入は、しばしば経営に混乱をもたらすことがあるが、トヨタの場合はむしろ巨大グループを安定的にまとめ上げる役割を果たしてきた経緯があるとされる。現職者・関連企業役員は下記のとおり。* トヨタ自動車名誉会長:豊田章一郎 - 2005年日本国際博覧会協会会長・日本経済団体連合会名誉会長

  • トヨタ自動車最高顧問:豊田英二

  • トヨタ自動車相談役:豊田達郎 - 豊田自動織機取締役兼任

  • トヨタ自動車代表取締役副社長:豊田章男

  • 豊田自動織機取締役名誉会長:豊田芳年

  • 豊田自動織機取締役社長: 豊田鐵郎

  • アイシン精機取締役会長:豊田幹司郎 - アイシン・エーアイ取締役会長兼任

  • トヨタ紡織取締役社長:豊田周平

  • 新明工業取締役:豊田彬子

  • 東和不動産監査役:豊田大吉郎


    [豊田家系図]
    ※丸数字は豊田本家の代数



    歴代社長


  • 豊田利三郎(とよだ りさぶろう、1937年〜1941年、初代社長。1952年死去)

  • 豊田喜一郎(とよだ きいちろう、1941年〜1950年、第2代社長。1952年死去)

  • 石田退三(いしだ たいぞう、1950年〜1961年、第3代社長。1979年死去)

  • 中川不器男(なかがわ ふきお、1961年〜1967年、第4代社長。1967年死去)

  • 豊田英二(とよだ えいじ、1967年〜1982年、第5代社長。現最高顧問)

  • 豊田章一郎(とよだ しょういちろう、1982年〜1992年、第6代社長。現名誉会長)

  • 豊田達郎(とよだ たつろう、1992年〜1995年、第7代社長。現相談役)

  • 奥田碩(おくだ ひろし、1995年〜1999年、第8代社長。現相談役)

  • 張富士夫(ちょう ふじお、1999年〜2005年、第9代社長。現会長)

  • 渡辺捷昭(わたなべ かつあき、2005年〜、第10代社長。現職)



    経営

    前述の1950年の経営危機を教訓とし、「改善(カイゼン)」、ジャストインタイム生産システム|ジャストインタイム (JIT) (カンバン方式)、トヨタ生産方式等の生産・経営のノウハウを確立した。また販売を重視し、銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされる。しかしこれはあくまで単独会計の場合であり、連結子会社においては有利子負債が相応に存在し、また顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算においては企業規模相応の有利子負債(約12兆円)が存在する。一方で、単独決済で約6兆円(これはスイスの単年度国家予算に匹敵する)、連結では約13兆円もの多大な内部留保を抱えるため、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算において日本企業初の連結経常利益一兆円を超え、さらに2004年3月期の通期決算では、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の一兆円超えを達成した。そして2007年3月期連結決算(米国会計基準)では営業利益が2兆2386億院 _$H$J$j!"6年連続で過去最高を更新した上に日本企業として初の二兆円の大台を突破しマスコミから絶賛された。1990年代以後の不況期にはその経営姿勢が注目され、ついにはトヨタ自身も生産方式を他企業にパッケージ販売するに至った。近年では社会貢献活動に力を入れており、2006年1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国での植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。1999年に、東京モーターショー出展のコンパクトカー“ファンタイム”を基に開発された新車種トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツの爆発的ヒットを皮切りに始まった新路線と、2005年3月より9月まで愛知県東部丘陵地区(豊田市、長久手町、瀬戸市)にて開催された国際博覧会「2005年日本国際博覧会|愛・地球博」による東海地方の経済効果、また、2000年代前半における中小企業の徹底的な経営改善などが功を奏し、近年再注目されている。



    代表取締役!


  • 会長:張富士夫 - (※日本経団連副会長、日本自動車工業会会長)

  • 副会長:中川勝弘

  • 社長:渡辺捷昭

  • 副社長:笹津恭士



    開発思想(80点主義)

    1100デラックス(KE10D)
    開発に6年を費やして1961年に発売された700ccの小型大衆車・初代トヨタ・パブリカ|パブリカは、基本コンセプトとして低廉化・経済性を実現するため、徹底して合理的に設計され、実用車としての完成度は高かった。しかし、「せっかく購入するのだから少々高くても」という消費者心理を掴み切れず販売は不振であった。この不振を分析し、ラジオやヒーター等を装備したデラックスモデルを加えた結果、販売台数は増加した。これを踏まえて、トヨタの80点主義と呼ばれる思想が生まれる。80点主義とは、1966年に発売された初代トヨタ・カローラ|カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した考え方である。商品の完成度を高める一方で、一部の飛び抜けて優れた機能や性能を追いかけることなく、まず全ての項目において最低でも80点を目指し、及第点に達したのち更に上の点数を順次達成していくトータルバランスを念頭に置いた企業思想である。のちに、この80点主義は80点主義+アルファとなり、旧車種や他社への差別化戦略へと移行していく。この「80点」という言葉が、各界からは鼻 QHK$K!V40`z$G$J$$!"


    技術力


    1950年代から品質管理に力を入れてきた。たとえば、ドアやトランクリッドなどと外板の隙間「チリ」とよばれる。を狭く均一に仕上げる技術や、ドアの閉まり音、遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質管理には定評がある。手堅い既存技術をブラッシュアップし、低コストで比較的質の高い製品を作る技術に長けており、顧客満足度は高いJDパワーや保険会社のランキングなどによる。。1970年代後半から小型乗用車の前輪駆動化が世界的に進行した際、トヨタは前輪駆動を主力車種カローラやコロナに採用する前に、新車種「トヨタ・ターセル|ターセル・トヨタ・コルサ|コルサ」や、改良型の中級小型自動車「トヨタ・カムリ|カムリ・トヨタ・ビスタ|ビスタ」など主力外車種での経験を踏まえた上で、なおかつ、顧客の反応を見るために従来型である後輪駆動車と併売を経て本採用する、という慎重ぶりであった。また、ヤマハ発動機からは高性能型DOHCユニットの供給を、本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC)の技術供与を受けるなど、高度な技\xA1 =Q$d!"GS=P%,%9BP:v$J$I$N6[5^$rMW$9$k5;=Q$K4X$7$F$OF16HB>l9g$b$"$C$?$,!"F8zN($N8~>e$r4k?^$7$?693QG[CV$NB?%P%k%VDOHCエンジン(ハイメカ・ツインカムと呼ばれる。1986年に市販開始)の開発と、量産車への搭載などはその一例である。1990年代後半、トヨタが先陣を切って普及させた技術としては、内燃機関における吸気時期電子制御システム"VVT-i( Intelligent Valuable Valve Timing Control)であるただし最初に開発・実用化したのはフォード・モーター|フォード社。。これは従来、エンジン機関の全体的回転タイミングによって吸気していたものに代え、電子制御により強制的適量吸気を実現したもので、国土交通省(旧運輸省)低排出ガス車認定基準へのほとんどの車種の適合を実現した一要素である。日産自動車のNVCSや富士重工業のAVCS、本田技研工業のi-VTEC、三菱自動車工業のMIVECなどは同種のシステムである。1990年代の業界再編期を経た現在は、グループ内各社ぁ H$N6&F13+H/$,0lHLE*$H$J$C$F$*$j!">.7?.7 ?


    販売戦略




    [ ブランド ]




    [ TOYOTA(トヨタ) ]

    創業当初から、全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備していた。これは喜一郎に請われ1935年にトヨタに移籍した日本ゼネラル・モータース販売広告部長であった神谷正太郎(トヨタ自販初代社長)が、米国ゼネラルモーターズ|GM流の販売方法を取り入れたためである。神谷は日本GMにおいて日本での自動車販売網を整備しオートローンもはじめるなど米国GM流儀を日本において徹底させ戦前の日本自動車市場をフォードと二分していた。神谷がトヨタとなってからはGM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として取り込んでいく。戦後、自動車製造・販売が再び許可されると「販売のトヨタ」と言われ、以降、現在に至るまで営業能力の高さには定評がある。現在、日本国内では4系統のディーラー網を傘下に持つ。1954年に発売されたトヨタ・トヨエース|1000ccのSKBトラック1956年から「トヨエース」と愛称(ペットネーム)が付いた。は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時日本国内の市場を席巻していた三輪トラック(オート三輪)へ臓 P93$7$?>&IJ$G$"$j!"$"$($F@oN,E*$KDc2A3J$GHNGd$7$?$3$H$G!"Bg$-$J@.8y$r<}$a$?!#$3$l$r$-$C$+$1$K!"F|K\$N>.7?%H%i%C%/;T>l$O!";0NX$+$i;MNX$K0\9T$9$k$3$H$K$J$k!#$^$?!"1955年に発売された初代トヨタ・クラウン|クラウンは、前輪独立懸架や低床シャシーなど、一応ヨーロッパ車並の構成を採った最初の日本製量産車となった。以後クラウンは、国内専用車として独特の発展を遂げ、日本国内の保守的な階層や官公庁用の車両、各種事業用車両としてドメスティックに定着し、2000年代前半からは中華人民共和国|中国などでも本格生産が開始されている。1960年代以降は、手堅い保守的設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で、競合他社を圧してきた。1989年(平成元年)に「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーでトヨタの新時代・新しいトヨタマークを大々的に宣伝したが、なぜか、国内仕様車では車のフロントグリル等に、車種ごとに異なる車種別エンブレム|エンブレムを装着例:E120系(9代目)トヨタ・カローラ|カローラシリーァ :0J9_$N!VNCV」マーク、トヨタ・マークX|マークX B$*$h$S% H%h%?!&%^!<%/Xジオ|マークXジオの「X」マーク、トヨタ・プレミオ|プレミオの「P」、トヨタ・アリオン|アリオンの「A」、トヨタ・ラクティス|ラクティスの「R」マーク等。リアは大抵の場合トヨタマークが付いている。している。


    [ LEXUS(レクサス) ]

    の広告塔(東京都|東京・渋谷)
    1989年、アメリカで高級車ブランド「レクサス」を創設し、大型高級セダンの「レクサス・LS」(日本では後に「トヨタ・セルシオ」として発売)と「レクサス・ES」日本で販売されていた「トヨタ・カムリ|トヨタ・カムリプロミネント」の仕様変更版。を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はトヨタ・クレシダ|クレシーダ(日本におけるトヨタ・マークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することには限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMW、キャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃と影響を与えた。世界各国で販売開始された後、日本国内にも展開されることになり、2005年8月30日に日本国内向けレクサス・ブランドとして、GSシリーズ、ISシリーズとSCシリーズの3系列投入で発足した。ISシリーズは1か月遅れの2005年9月28日から発売した。高級車ブランドとしてはメルセデス・ベ\xA1 %s%D!"BMWに次ぐ販売台数であった。しかし、販売台数は予定の約6割とされている。2006年9月19日にはレクサスの旗艦車種であるLSシリーズが発売された。


    [ SCION(サイオン) ]

    サイオンはアメリカの若者向けのブランドで2003年に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の "退屈なトヨタ車" のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。大衆|マス(大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA日本では初代トヨタ・ist|ist。、xB日本では初代トヨタ・bB|bB。で、後に日本未発売のクーペtCが追加された。


    [ 商品展開 ]

    販売最優先によるシェアの確保がトヨタの方針である。


    [ 「販売のトヨタ」 ]

    トヨタは、1950年代後半から60年代にかけて、トヨタ・クラウン|クラウン、トヨタ・コロナ|コロナ、トヨタ・パブリカ|パブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した。さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはトヨタ・カローラ|カローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にトヨタ・カリーナ|カリーナおよびトヨタ・セリカ|セリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型商品展開を完成させたのである。これは日本的な年功序列や終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの函 NGd@oN,$rC"$rJQ$($?!V7;Do例:X70系〜X100系までのトヨタ・マークII|マークII/トヨタ・チェイサー|チェイサー/トヨタ・クレスタ|クレスタ、L20系以降のトヨタ・ターセル|ターセル/トヨタ・コルサ|コルサ/トヨタ・カローラII|カローラII、E20系〜E110系までのトヨタ・カローラ|カローラシリーズ/トヨタ・スプリンター|スプリンターシリーズ、T150系以降のトヨタ・コロナ|コロナ/トヨタ・カリーナ|カリーナ(のちのトヨタ・プレミオ|プレミオ/トヨタ・アリオン|アリオン)、V10系〜v40系までのトヨタ・カムリ|カムリ/トヨタ・ビスタ|ビスタ、エスティマエミーナ/エスティマルシーダ、トヨタ・グランビア|グランビア/トヨタ・グランドハイエース|グランドハイエース、トヨタ・タウンエース|タウンエース/トヨァ ?!&%i%$%H%(!<%9|ライトエース/トヨタ・マスターエーァ 9| %^%9%?!<%(!<%9!"%H%h%?!&%+%m!<%i%i%s%/%9|カローラランクス/アレックス、トヨタ・ノア|ノア/トヨタ・ヴォクシー|ヴォクシー、トヨタ・サクシード|サクシード/トヨタ・プロボックス|プロボックスなど。を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。また、全国に配置した販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売のトヨタ」と評された。


    [ 多様化するマーケット ]

    近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。1985年、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ|ハードトップ車、トヨタ・カリーナED|カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の量産ハイブリッド車、トヨタ・プリウス|プリウスを市場に送り出した。業界では時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったトヨタ・ハリアー|ハリアーは、クロスオーバーSUV|クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。1999年に登場したトヨタ・ヴィッツ|ヴィッツは  "F|K\$GD9$/?jB`>uBV$@$C$?%3%s%Q%/%H!&%+!<$,I|8"$9$k$-$C$+$1$H$J$j!"8e$K$3$N%;%0%a%s%H$OBg$-$J;T>l$X$HH/E8$9$k!#KLJF$K$*$$$F$O!"=>Mh6l

    [ 中国戦略 ]

    第一汽車集団と包括提携関係にある。また、2004年9月には広州汽車集団との間でも合弁会社を設立した。* 2000年12月15日に四川豊田(現・四川一汽豊田)でトヨタ・コースター|コースター(「柯斯達」)の生産を開始。

  • 2002年10月8日に天津豊田(現・天津一汽豊田 第一工場)でトヨタ・ヴィオス|ヴィオス(「威馳」)の生産を開始。出遅れていた中国市場への進出に乗り出す。

  • 2003年9月5日に四川豊田でトヨタ・ランドクルーザープラド|ランドクルーザープラド(「普拉多」)の生産を開始。

  • 2003年10月8日に長春一汽豊越汽車(四川一汽豊田・長春工場)でトヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー(「陸地巡洋艦」)の生産を開始。

  • 2004年2月23日に天津一汽豊田でトヨタ・カローラ|カローラ(「花冠」)の生産を開始。

  • 2005年3月21日に天津一汽豊田・第2工場でトヨタ・クラウン|クラウン(「皇冠」)の生産を開始。

  • 2005年10月24日に天津一汽豊田・第2工場でレイツ(「鋭志」、日本名トヨタ・マークX|マークX)の生産を開始。

  • 2005年12月15日に四川一汽豊田・長春工場でトヨタ・プリウス|プリウス(「普鋭斯」)のノックダウン生産を開始。

  • 2006年5月23日に広州豊田でトヨタ・カムリ|カムリ(「凱美瑞」)の生産を開始。

  • 2007年5月28日に天津一汽豊田・第3工場で新型トヨタ・カローラ|カローラ(「?羅拉」)の生産を開始(従来型カローラ「花冠」の生産も第1工場にて継続)。



    モータースポーツ




    [ ラリー ]

    (オーストラリア・ラリー出場再現車)
    トヨタにおけるモータースポーツの活動は、1957年オーストラリア・ラリーにトヨタ・クラウン|クラウンで出場したのが最初。結果は47位だった。その後、1973年から1999年まで世界ラリー選手権(WRC)にトヨタ・チーム・ヨーロッパがトヨタ・カローラレビン|カローラレビン、トヨタ・セリカ|セリカ、トヨタ・スープラ|スープラで参戦していた。
    1975年の1000湖ラリー(フィンランド)での、カローラレビンによるWRC初制覇に始まり、1984年、1985年、1986年とサファリラリー3連覇をTA64型セリカで達成した。
    1988年ツール・ド・コルス(フランス)でセリカGT-FOUR ST165をデビューさせ、WRC王座獲得を目指すべく当時最強を誇っていた王者ランチアに挑み、熾烈な戦いを繰り広げることになる。
    ST165型セリカで挑んだ1990年とST185型セリカにスイッチした1992年にはカルロス・サインツがドライバーズチャンピオンを獲得。
    1993年、1994年には2年連続で、ドライバーとマニュファクチャラーのダブルタイトルを獲得した。
    また、1994年のラリー・オーストラリアでそれまでのST185型セリカよりも大きく重くなったST205型セリカがデビューした。しかし、1995年のラリー・カタルニアでエンジンの吸気量を制限するリストリクターに意図的に細工を施していた違反行為が発覚した。非常に手の込んだ細工で、エアリストリクターが装着されたトランペット単体では問題ないが、エンジンに取り付けるとパーツがスライドして隙間が出来、そこから大量の空気を吸わせて大幅なパワーアップをするという悪質なものであった。リストリクターは、クルマから外した状態でしかチェックしないのに目を付けた、実に巧妙な手だてであり、同年のサンレモ戦から導入していたと後に認めている。FIAは写真付でその悪質な手口を公表し、1995年の全ポイント剥奪と1996年終了までの出場停止処分を発表した。
    1997年のシーズン途中、1997年シーズンに始まった新規定WRカー規定を適用し、モデルチェンジ毎に大きく重くなっていったセリカからセリカ譲りのトヨタ・3S-GE|3S‐GTEエンジンを搭載したよりコンパクトなトヨタ・カローラ|カローラWRCへとスイッチ。ディディエ・オリオールの手によって1997年のフィンランドラリーでデビューを飾った。翌1998年、カルロス・サインツがフォード・モーター|フォードから移籍、開幕戦で優勝を飾り、その後2勝してマニュファクチャラーズランキング2位でシーズンを終える。翌1999年は優勝こそチャイナラリーのみだったもののコンスタントに入賞を繰り返し、5年ぶり3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。しかし、サンレモラリーの直前にTTEはF1参戦を発表、27年にも及ぶ日本最大のマニュファクチャラーのラリーへの挑戦は幕を閉じた。


    [ スポーツプロトタイプ ]

    トヨタが初めてプロトタイプレーシングカー|スポーツプロトタイプのレースに参加したのは1966年の第3回日本グランプリである。ただしマシンは市販前のトヨタ2000GTで、純粋なプロトタイプではない。日産/プリンスに対しプロトタイプの開発が遅れたトヨタは翌1967年の第4回日本グランプリを欠場。翌1968年、トヨタは初のプロトタイプレーシングマシン、3リッターV型8気筒エンジン搭載のトヨタ・7をデビューさせる。5月の日本グランプリでは日産・R381に敗れたものの、その他多くのスポーツカー耐久レースで勝利を収める。翌1969年には5リッターV型8気筒エンジンを搭載するトヨタ・7の第2期モデルが登場する。このマシンもデビュー戦の7月の富士1000kmで勝利を収め、続く8月のNETスピードカップも日産R381を破り優勝。また11月の第2回日本CanAMも制するが、肝心の10月の日本グランプリでは6リッターV型12気筒エンジンを搭載する日産・R382の前にまたぁ bN^$r0{$`!#MbG/$K8~$1$F%H%h%?$OF|K\=i$N5リッターV型8気筒エンジンにターボチャージャーを装着した第3期モデルのトヨタ・7を開発するが、日産が1970年の日本グランプリの欠場を表明したためトヨタも欠場することとなる。トヨタの目は世界に向けられ、トヨタ・7ターボでのCan-Amへの挑戦を決意するが、それが決定したまさにその日、鈴鹿サーキットでトヨタ・7ターボをテスト中の川合稔が事故死、これによりトヨタ・7のプロジェクトは白紙にされてしまう。以降80年代までトヨタはプロトタイプカーのレース活動を中断することになる。1982年に世界耐久選手権(WEC)が日本で開催されると、スポーツプロトタイプカー(グループCカー)を童夢 (自動車会社)|童夢とトムスの共同開発のトムス童夢・セリカCで参戦した。1983年から始まる全日本耐久選手権(1987年より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPCに改称)にも参戦し、以後、童夢とトムスの共同開発による4気筒ターボの83C(1983年)〜トヨタ・87C|88C $B!J1988年)、8気筒ターボの88CV(1988如 /!K!A 92CV(1992年)を送り込み、1987年からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦を開始し、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動の事実上の再開となった。1985年からはル・マン24時間レースにも参戦を始めた。トヨタエンジンを搭載したマシンのルマン参戦としては1975年のシグマMC-75が最初である。また1973年にマツダのロータリーエンジンを搭載したシグマMC-73のリアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている。メーカーでの参戦は途中不参加の年もあるものの、1999年まで行われている。1985年〜1990年まではターボエンジン車で参戦し、1992年〜1993年には当時のF1と同じ規定で造られた自然吸気3.5リッター10気筒エンジンを搭載したトヨタ・TS010|TS010で参戦し、1992年には2位を獲得している。1994年には92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CをGTとして改造した、掟破りとも言えるダウアー962GTの前\xA1 $K$^$?$b2位に終わる。1998年から1999年にかけてトヨタ・GT-One TS020|Toyota GT-One(TS020)でル・マンに参戦。マシン性能をは他社に比べて圧倒的であったが安定度が不足しており、マシントラブルのために最高成績は1999年の2位止まりに終わる。1992年にスポーツカー世界選手権(SWC)にTS010でフル参戦し、第1戦のアウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ|モンツァで日本の小河等が優勝した。


    [ F1 ]




    [ その他 ]

    1994〜1998年には全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|全日本ツーリングカー選手権(JTCC)に参戦し、1994年第4戦SUGOからは全日本GT選手権(JGTC:現・SUPER GT)に参戦。GT500クラスでは2005年までスープラ、2006年からはレクサスSCで参戦。GT300クラスにもセリカとMR-Sが参戦している。1996年からアメリカのチャンプカー|チャンピオンシップシリーズ(CART)にエンジンマニュファクチャラーとして参戦し、2002年ドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得し、2003年からは、インディ・レーシング・リーグ(IRL)へ参戦。世界3大レースの一つ「インディ500」を日本メーカーとして初めて制覇。IRLシリーズ参戦初年でドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。なおIRLからは2006年末撤退予定を前倒しし、2005年一杯で撤退した。アメリカのストックカーレースであるNASCARには2000年にセリカでNASCARグッディ\xA1 !<%:%@%C%7%e%7%j!<%:$G=i;2@o$7!"2004年にトップ3カテゴリーへ史上初の新マニュファクチャラーとしてトヨタ・タンドラ|タンドラでNASCARクラフツマントラックシリーズに参戦、2006年にはドライバーズ、マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。そして2007年からはトヨタ・カムリ|カムリでNASCAR最高峰カテゴリーにあたるネクステルカップシリーズ(現・スプリントカップシリーズ)とブッシュシリーズ(現・ネイションワイドシリーズ)へ参戦し、2008年のスプリントカップ第4戦で外国車メーカーとしては1954年のジャガー (自動車)|ジャガー以来、日本車メーカーとしては初となる最高峰カテゴリーでの優勝を果たした。またアマチュア向けとして、ヴィッツとトヨタ・アルテッツァ|アルテッツァのワンメイクレース「ネッツカップ」、ラリー初心者向けのワンメイクラリー「TRDヴィッツチャレンジ」などを開催しているほか、若手ドライバー育成を目的としたジュニア・フォーミュラのシリーズ「フォーミュラ・トヨタ」など、底辺カテゴリーの拡大にも力を入れて\xA1 $$$k!#$^$?


    幻の航空機計画

    トヨタは戦前に航空機を開発していたことが明らかにされている。
    戦後にも航空禁止解除をにらんで航空機分野への進出企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄技師から現状のトヨタの体制では無理という旨の意見を聞き断念している。
    1999年3月4日に子会社のエアフライトジャパン社に、エンジン燃料系統に改造を加えたパイパー機に試験飛行を行わせた。しかしながら、改造に対して十分な配慮がなされていなかったためにエンジンが停止し海上に墜落、搭乗者3名全員が死亡した。最近では三菱重工が主体となっている国産旅客機MRJに対して資本参加を発表したことから、航空機産業に対する強い思い入れがある事が伺える。また、提携関係で同社が筆頭株主の富士重工業は航空宇宙部門を持っており、同社への出資に対して、この点でも航空産業への思い入れが垣間見られる。



    研究開発拠点




    [ 国内 ]


  • トヨタテクニカルセンター(愛知県豊田市本社内)
        デザイン、プロトタイプの研究開発とその企画、車両の評価等

  • 東富士研究所(静岡県裾野市御宿) - (1966年設立)
        車両の新技術開発及びエンジンの新技術研究

  • 東京デザイン研究所(東京都八王子市石川) - (1989年設立)
        先進的なスタイリングのデザイン研究・開発

  • 士別試験場(北海道士別市温根別町) - (1984年設立)
        車両の高速総合性能、各種寒冷地試験及び評価

  • 東京開発センター(東京都港区 (東京都)|港区台場) - (2005年設立)
        電子技術分野の先行技術開発

  • 豊田ビームライン(兵庫県佐用郡佐用町) - (2008年度着工)
        SPring-8を利用した燃料電池車、触媒などの技術開発[http://www.kobe-np.co.jp/news/keizai/0000805815.shtml]


    [ 海外 ]




    [ アメリカ ]


  • トヨタテクニカルセンターU.S.A.(TEMA-TTC) - (1977年設立)
        (本部)ミシガン州アナーバー (ミシガン州)|アナーバー : 技術調査、研究開発、現地車両設計・評価
        (分室)ミシガン州プリマス : 試作車両工場
       : カリフォルニア州トーランス (カリフォルニア州)|トーランス、ガーデナ : 車両評価、エンジン適合
       : アリゾナ州ウィットマン : 総合車両評価
    海外におけるトヨタ最大の研究開発拠点。米国現地部品・材料の開発、車両評価やエンジン適合、技術調査などの研究開発業務、および、北米向けの製品の技術開発、現地生産車両の開発を実施。

  • キャルティデザインリサーチ - (1973年設立)
        (本部)カリフォルニア州ニューポートビーチ
        (分室)ミシガン州アナーバー (ミシガン州)|アナーバー (TEMA-TTCに併設)
    トヨタ初の海外でのデザイン開発拠点。米国向け車両デザインの調査・開発。


    [ ヨーロッパ ]


  • TME研究開発グループ - (1987年設立)
        (テクニカルセンター) ベルギー ザベンタム
        (分室) イギリス ダービー州とドイツ ケルン
    欧州事業サポート、欧州環境での車両・材料評価、認証、技術調査・研究、現地車両開発

  • トヨタヨーロッパ・デザインディべロップメント(フランス コートダジュール)- (1998年設立)
    外観・内装・カラーデザインの開発研究、モデル製作、デザイン調査

  • トヨタモータースポーツ(TMG)(ドイツ ケルン) - (1993年設立)
    フォーミュラ1|F1カーの開発、F1レースへの参加


    [ アジア・太平洋 ]


  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックタイ(TTCAP-TH)(タイ王国|タイ・サムットプラーカーン) - (2003年設立)
    デザインの研究開発・評価、技術調査、現地車両開発

  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックオーストラリア(TTCAP-AU)(オーストラリア・ビクトリア州メルボルン) - ’2003年設立)
    デザインの研究開発、技術調査、現地車両開発



    生産拠点




    [ 国内 ]




    [ 直営 ]


  • 本社工場(愛知県豊田市) -(1938年創業)(工場コードA11)
    トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザーのシャシ (自動車)|シャーシ(1951年|1951 - 2007年8月)、トラックのシャーシ、トヨタ・プリウス|プリウスのドライブトレーン、トヨタ・ノア|ノア、トヨタ・ヴォクシー|ヴォクシー

  • 元町工場(愛知県豊田市) -(1959年創業)
    トヨタ・クラウン|クラウン、トヨタ・クラウンマジェスタ|クラウンマジェスタ、トヨタ・マークX|マークX、トヨタ・エスティマ|エスティマ

  • 上郷工場(愛知県豊田市) -(1965年創業)
    エンジン、他

  • 高岡工場(愛知県豊田市) -(1966年創業)(工場コードA31、A32)
    トヨタ・カローラ|カローラ(海外仕様を含むシリーズ全般)、トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ、トヨタ・ist|ist、トヨタ・ラクティス|ラクティス、トヨタ・オーリス|オーリス

  • 三好工場(愛知県西加茂郡三好町) -(1968年創業)
    足回り機械部品、他

  • 堤工場(愛知県豊田市) -(1970年創業)(工場コードA41,42)
    トヨタ・プレミオ|プレミオ、トヨタ・アリオン|アリオン、トヨタ・カムリ|カムリ、トヨタ・ウィッシュ|ウィッシュ、トヨタ・プリウス|プリウス、サイオン・tC、足回り機械部品

  • 明知工場(愛知県西加茂郡三好町) -(1973年創業)
    足回り機械部品、エンジン、他

  • 下山工場(愛知県西加茂郡三好町) -(1975年創業)
    足回り機械部品、エンジン他

  • 衣浦工場(愛知県碧南市) -(1978年創業)
    足回り機械部品、他

  • 田原工場(愛知県田原市) -(1979年創業)(工場コードA51〜55)
    第一製造部:レクサス・GX、トヨタ・ランドクルーザープラド|ランドクルーザープラド、4Runner(対米向けトヨタ・ハイラックスサーフ|ハイラックスサーフ)、トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー(2007年〜)
    第二製造部:トヨタ・RAV4|RAV4、トヨタ・ヴァンガード|ヴァンガード
    第三製造部:レクサス・LS、レクサス・GS、レクサス・IS F
    PDI(Pre-Delivery Inspection)センター:トヨタ・アベンシス|アベンシス(TMUKから輸入後の検査のみ)
    注:第三製造部のみレクサス系セダン専用工場となり、技能員の制服・制帽も他とは異なる。 *工場コードについて
    *第一製造部 1A組立ライン:A51 ランドクルーザー/ランドクルーザープラド/4Runner
    *第一製造部 1B組立ライン:A52 AE86トレノ/AE86レビン/ハイラックスピックアップ等
    (現在は完成車組立ライン解体の上、1A組立ライン向けの部品順建ライン化により消滅。) 
    *第二製造部 2C組立ライン:A53 初代セルシオ/ソアラ等
    (現在は完成車組立ライン解体の上、1A/2D工場向けのエンジン順建ライン化により消滅。)
    *第二製造部 2D組立ライン:A54 AE86トレノ/AE86レビン/セリカ/カリーナED/RAV4/ヴァンガード等
    *第三製造部 3E組立ライン:A55 レクサスLS/GS/IS-F* 貞宝工場(愛知県豊田市) -(1986年創業)
    工場生産設備、他

  • 広瀬工場(愛知県豊田市) -(1989年創業)
    電子装備部品、他


    [ 関連会社運営(車両生産工場のみ) ]


  • 豊田自動織機長草工場(愛知県大府市)(工場コードB11)
    ヴィッツ、RAV4、マークXジオ

  • トヨタ車体富士松工場(愛知県刈谷市)(工場コードC21)
    プリウス、イプサム、ノア、ヴォクシー、エスティマ、エスティマハイブリッド

  • トヨタ車体いなべ工場(三重県いなべ市)(工場コードC31)
    ハイエース(ロングボディ)、アルファード、アルファードハイブリッド、タウンエースバン、ライトエースバン、グランビアバン

  • トヨタ車体吉原工場(愛知県豊田市)(工場コードD11)
    ランドクルーザー200、レクサスLX、ランドクルーザー70、コースター

  • 関東自動車工業東富士工場(静岡県裾野市)(工場コードM21)
    センチュリー、レクサスSC(=旧ソアラ)、クラウンセダン、コンフォート、カローラセダン(E150系・海外仕様のみ)、カローラフィールダー、アイシス

  • トヨタ自動車九州宮田工場(福岡県宮若市)
    レクサスIS、レクサスES、レクサスRX(ハリアー)、レクサスRX400h(ハリアーハイブリッド)、ハイランダー(旧クルーガー/海外仕様)
    注:トヨタ(田原)とトヨタ九州(宮田)がレクサス工場となり、愛知に次ぐ第2拠点工場

  • 関東自動車工業岩手工場(岩手県胆沢郡金ケ崎町)(工場コードM31)
    ベルタ、オーリス、ブレイド、カローラルミオン(サイオンxB)

  • セントラル自動車本社工場(神奈川県相模原市)(工場コードN11)
    カローラアクシオ、ラウム、ヤリスセダン(=ベルタ海外仕様)

  • 日野自動車羽村工場(東京都羽村市)(工場コードP11)
    ハイラックスサーフ、FJクルーザー、トヨエース、ダイナ、クイックデリバリー

  • ダイハツ工業本社(池田)工場第2地区(大阪府池田市)(工場コードK11)
    パッソ、bB

  • ダイハツ工業京都工場(京都府乙訓郡大山崎町)(工場コードK21)
    プロボックス、サクシード、ポルテ、シエンタ

  • ダイハツ九州大分(中津)工場(大分県中津市)
    ラッシュ

  • 群馬県前橋市にあったダイハツ車体旧本社工場を全面移転させた為、退職を余儀なくされた社員も多く群馬では大きな批判を浴びる一方、大分では雇用拡大に繋がるとして歓迎された。

  • 岐阜車体工業(岐阜県各務原市)(工場コードE11)
    ハイエース(スーパーロングボディ)、トヨタ救急車


    [ 海外 ]

    (26ヶ国、51社[http://www.toyota.co.jp/jp/about_toyota/gaikyo/pdf2005/12-13.pdf])


    [ 北米 ]


  • アメリカ合衆国
    トヨタ・マニュファクチャリング・ケンタッキー (ケンタッキー州ジョージタウン (ケンタッキー州)|ジョージタウン)

  • トヨタ・カムリソラーラ|ソラーラ、:en:Toyota Camry#Second generation (1987?1991)|カムリ、トヨタ・アバロン|アバロン
    テキサス工場

  • トヨタ・タンドラ|タンドラ 07〜
    インディアナ工場

  • トヨタ・タンドラ|タンドラ、:en:Toyota Sequoia|セコイア、トヨタ・シエナ|シエナ
    NUMMI

  • カローラ、トヨタ・タコマ|タコマ、トヨタ・ヴォルツ|ヴォルツ(:en:Pontiac Vibe|ポンティアック・ヴァイブ)

  • カナダ
    トヨタ・マニュファクチャリング・カナダ (オンタリオ州ケインブリッジ)

  • カローラ、トヨタ・マトリックス|マトリックス、レクサス・RX|レクサスRX
    ウッドストック工場(2008年に操業開始予定)

  • RAV4


    [ 中南米 ]


  • ブラジル
    トヨタ・ド・ブラジルS.A. 1958年創業

  • インダイアツーバ工場 サンパウロ州インダイアツーバ(:en:Indaiatuba|Indaiatuba)
    カローラ、エンジン(組み立てのみ)* アルゼンチン
    アルゼンチントヨタ(Toyota Argentina S.A = TASA)

  • サラテ工場 ブエノスアイレス州サラテ市
    トヨタ・IMV|IMV(トヨタ・ハイラックス|ハイラックス)

  • コロンビア
    Sociedad de Fabricacion de Automotores S.A.

  • トヨタ・ランドクルーザー#70系(1984年 - 2004年)|ランドクルーザー70、トヨタ・ランドクルーザープラド|ランドクルーザープラド、トヨタ・ハイラックス|ハイラックス

  • ベネズエラ
    Toyota de Venezuela Compania Anonima

  • トヨタ・ランドクルーザー#70系(1984年 - 2004年)|ランドクルーザー70、トヨタ・ダイナ|ダイナ、トヨタ・カローラ|カローラ、ダイハツ・テリオス


    [ ヨーロッパ ]


  • イギリス
    TMUK (Toyota Motor Manufacturing (UK)Ltd.)

  • バーナストン工場 ダービー州バーナストン
    アベンシス、オーリス

  • フランス
    TMMF (Toyota Motor Manufacturing France S.A.S.)

  • ヤリス

  • トルコ
    Toyota Motor Manufacturing Turkey Inc.

  • カローラ、カローラヴァーソ

  • チェコ
    TPCA (Toyota Peugeot Citro?n Automobile Czech,s.r.o.)

  • アイゴ

  • ロシア
    Toyota Motor Manufacturing Russia Ltd.

  • カムリ

  • ポルトガル
    Salvador Caetano I.M.V.T., S.A.

  • ダイナ、ハイエース、オプティモ

  • ポーランド
    Toyota Motor Manufacturing Poland SP.zo.o.
    Toyota Motor Industries Poland SP.zo.o.

  • エンジン、マニュアルトランスミッション


    [ アフリカ ]


  • ケニア
    Associated Vehicle Assemblers Ltd.

  • トヨタ・ハイエース|ハイエース、トヨタ・ハイラックス|ハイラックス、トヨタ・ランドクルーザープラド|ランドクルーザープラド

  • 南アフリカ共和国
    南アフリカトヨタ (Toyota South Africa Motors (Pty) Ltd. = TSAM)

  • ダーバン工場 トヨタ・カローラ|カローラ、トヨタ・ダイナ|ダイナ、トヨタ・ハイエース|ハイエース、トヨタIMVプロジェクト|IMV(トヨタ・ハイラックス|ハイラックス、トヨタ・フォーチュナー|フォーチュナー)、エンジン


    [ アジア ]


  • 中華人民共和国
    天津一汽豊田自動車有限公司:天津第一汽車との合弁企業(天津市)

  • トヨタ・ヴィオス|ヴィオス(威馳)、トヨタ・カローラ|カローラ(花冠)、トヨタ・クラウン|クラウン(皇冠)、トヨタ・マークX|レイツ(鋭志)
    四川一汽豊田自動車有限公司:中国第一汽車との合弁企業(成都市、長春市)

  • トヨタ・コースター|コースター(柯斯達)、トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー(陸地巡洋艦)、トヨタ・ランドクルーザープラド|ランドクルーザープラド(普拉多)、トヨタ・プリウス|プリウス(普鋭斯)
    広州豊田自動車有限公司:広州汽車との合弁企業(広州市)

  • トヨタ・AZエンジン|AZエンジン、トヨタ・カムリ|カムリ(凱美瑞)

  • タイ王国
    トヨタ・モーター・タイランド(TMT)

  • サムロン工場
    トヨタIMVプロジェクト|IMV(トヨタ・ハイラックス|ハイラックス、トヨタ・フォーチュナー|フォーチュナー)

  • ゲートウェイ工場
    ヴィオス、カローラ、カムリ、ウィッシュ

  • インドネシア
    トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・インドネシア(TMMIN)

  • スンター工場
    トヨタ・キジャン|キジャンピックアップ

  • カラワン工場
    トヨタIMVプロジェクト|IMV(トヨタ・イノーバ|イノーバ)


    [ オセアニア ]


  • オーストラリア
    オーストラリア・トヨタ (Toyota Mootor Australia Ltd. = TMA)

  • カムリ、アバロン、エンジン


    [ 中近東 ]


  • バングラデシュ
    Aftab Automobiles Ltd.

  • インド
    トヨタ・キルロスカ・モーター(TKM)

  • バンガロール工場 イノーバ、カローラ

  • パキスタン
    Indus Motor Company Ltd.



    国内現行車種(TOYOTAブランド)



    [ セダン|セダン(サルーン) ]


  • トヨタ・アベンシス|アベンシスセダン(2003年- )

  • トヨタ・アリオン|アリオン(2001年- 2代目)

  • トヨタ・カムリ|カムリ(1980年- 8代目)

  • トヨタ・カローラ|カローラアクシオ【←カローラセダン】(1966年- カローラセダンから通算10代目)

  • トヨタ・クラウン|クラウンアスリート/クラウンロイヤルサルーン/クラウンハイブリッド(1955年- 13代目)

  • トヨタ・クラウンコンフォート|クラウンコンフォート(1995年- )

  • トヨタ・クラウンセダン|クラウンセダン(1974年- 6代目)

  • トヨタ・クラウンマジェスタ|クラウンマジェスタ(1991年- 4代目)

  • トヨタ・コンフォート|コンフォート(1995年- )

  • トヨタ・センチュリー|センチュリー(1967年- 2代目)[フラッグシップモデル]

  • トヨタ・プリウス|プリウス(1997年- 2代目。現行型から5ドアハッチバックの形状を用いているが、トヨタの公式サイトではセダンとして扱われている)

  • トヨタ・プレミオ|プレミオ(2001年- 2代目)

  • トヨタ・ベルタ|ベルタ(2005年- )

  • トヨタ・マークX|マークX(2004年- )


    [ クーペ/コンバーチブル(スポーツカー) ]

    現在のところこのボディタイプのラインアップは無い


    [ SUV|SUV/クロスカントリー ]


  • トヨタ・RAV4|RAV4(1994年- 3代目)

  • トヨタ・ハイラックスサーフ|ハイラックスサーフ(1984年- 4代目)

  • トヨタ・ハリアー|ハリアー(1997年- 2代目)

  • トヨタ・ハリアーハイブリッド|ハリアーハイブリッド(2005年- )

  • トヨタ・ヴァンガード|ヴァンガード (2007年-)

  • トヨタ・ラッシュ|ラッシュ(2005年- ダイハツ・ビーゴのOEM車種)

  • トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー(200)(2007年- )

  • トヨタ・ランドクルーザープラド|ランドクルーザープラド(1990年- 3代目)


    [ ステーションワゴン ]


  • トヨタ・アベンシス|アベンシスワゴン(2003年- )

  • トヨタ・カローラフィールダー|カローラフィールダー【←カローラワゴン】(1982年- 国内向けカローラワゴンとしては通算5代目)

  • トヨタ・サクシード|サクシードワゴン(2002年- )

  • トヨタ・プロボックス|プロボックスワゴン(2002年- )


    [ ミニバン/ワンボックスカー|1BOX ]


  • トヨタ・アイシス|アイシス(2004年-)

  • トヨタ・アルファード|アルファード(2002年- 2代目)

  • トヨタ・ヴェルファイア|ヴェルファイア (2008年)

  • トヨタ・イプサム|イプサム(1996年- 2代目)

  • トヨタ・ウィッシュ|ウィッシュ(2003年-)

  • トヨタ・エスティマ|エスティマ/エスティマハイブリッド(1990年- 3代目)

  • トヨタ・シエンタ|シエンタ(2003年-)

  • トヨタ・ノア|ノア(2001年- 2代目)

  • トヨタ・ヴォクシー|ヴォクシー(2001年- 2代目)

  • トヨタ・マークXジオ|マークXジオ(2007年-)


    [ コンパクトカー/ハッチバック|2BOX/トールワゴン ]


  • トヨタ・bB|bB(2000年- 2代目) - (ダイハツ・クーは2代目bBと車台・車体を共通にする共同開発車種であり、両車は製造事業者の名義が異なる)

  • トヨタ・ist|ist(2002年- 2代目)

  • トヨタ・オーリス|オーリス(2006年- )

  • トヨタ・カローラルミオン|カローラルミオン(2007年- )

  • トヨタ・パッソ|パッソ(2004年- ) - (ダイハツ・ブーンはパッソと車台・車体を共通にする共同開発車種であり、両車は製造事業者の名義が異なる)

  • トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ(1999年- 2代目)

  • トヨタ・ブレイド|ブレイド(2006年- )

  • トヨタ・ポルテ|ポルテ(2004年- )

  • トヨタ・ラウム|ラウム(1997年- 2代目)

  • トヨタ・ラクティス|ラクティス(2005年- )


    [ その他(商用車・業務用車両など) ]


  • 73式中型トラック|トヨタ・73式中型トラック

  • トヨタ・FCHV|FCHV(限定リース車両であり、市販はされていない)

  • トヨタ・カムロード|カムロード(キャンピングカーのベース車/ハイラックス系・日野自動車で生産)

  • トヨタ・クイックデリバリー|クイックデリバリー200

  • 高機動車(自衛隊|自衛隊向け車両。民生型はトヨタ・メガクルーザー|メガクルーザー)

  • トヨタ・コースター|コースター

  • トヨタ・サクシード|サクシード(バン)

  • トヨタ・プロボックス|プロボックス(バン)

  • トヨタ・ダイナ|ダイナ

  • トヨタ・トヨエース|トヨエース

  • トヨタ・ハイエース|ハイエース

  • トヨタ・ハイメディック|ハイメディック(高規格救急車。2006年にフルモデルチェンジした現行モデルはトヨタ・ハイエース|ハイエースがベース)

  • トヨタ・タウンエース|タウンエース

  • トヨタ・ライトエース|ライトエース

  • トヨタ・レジアスエース|レジアスエース

  • トヨペット・トレーラーコーチ


    [ 特記事項 ]

    トヨタでは「v」が入る車名の仮名表記に一貫性がない。「ヴィッツ」「ヴォクシー」「ヴェロッサ」のように「ヴ」を使った表記をする車種がある一方で、「ビスタ」「グランビア」「アベンシス」のように使っていないものもある。



    現在の海外専売車


  • トヨタ・アバロン|アバロン(:en:Toyota Avalon|Avalon, 北米)

  • トヨタ・シエナ|シエナ(:en:Toyota Sienna|Sienna, 北米)

  • トヨタ・タコマ|タコマ (:en:Toyota Tacoma|Tacoma, 北米)

  • トヨタ・タンドラ|タンドラ(:en:Toyota Tundra|Tundra, 北米)

  • トヨタ・タンドラ|セコイア(:en:Toyota Sequoia|Sequoia, 北米)

  • トヨタ・マトリックス|マトリックス(:en:Toyota Matrix|Matrix, 北米)

  • トヨタ・FJクルーザー|FJクルーザー(:en:Toyota FJ Cruiser|FJ Cruiser, 北米)

  • トヨタ・カムリ#8代目(2006年-)CV40|カムリハイブリッド(:en:Toyota Camry Hybrid|Camry Hybrid, 北米)

  • トヨタ・カムリソラーラ|カムリソラーラ(:en:Toyota Camry Solara|Camry Solara, 北米)

  • サイオン・tC(:en:Scion tC|Scion tC, 北米)

  • トヨタ・アイゴ|アイゴ(:en:Toyota Aygo|Aygo, ヨーロッパ)

  • トヨタ・ヴィオス|ヴィオス(:en:Toyota Vios|Vios, 中国、東南アジア)

  • トヨタ・ハイラックス|ハイラックス(:en:Toyota Hi-Lux|Hi-Lux, 東南アジア他、日本では1968-2004年まで販売)

  • トヨタ・フォーチュナー|フォーチュナー(:en:Toyota Fortuner|Fortuner, 東南アジア、南アフリカ他)

  • トヨタ・エスティマ|プレビア(:en:Toyota Previa|Previa)フィリピン他

  • トヨタ・キジャン|キジャン(:en:Toyota Kijang|Kijang, 東南アジア、インド、南アフリカ)

  • トヨタ・イノーバ|イノーバ(:en:Toyota Innova|Innova, 東南アジア、インド)

  • トヨタ・アバンザ|アバンザ(:en:Toyota Avanza|Avanza, 東南アジア)

  • トヨタ・オーリオン|オーリオン(:en:Toyota Aurion|Aurion, オーストラリア)

  • トヨタ・ヤリス|ヤリス(:en:Toyota Yaris|Yaris)フィリピン・米国他

  • トヨタ・クルーガー|ハイランダー(:en:Toyota Highlander|Highlander)北米、EU、アジア他

  • レクサス・ES|ES(:en:Lexus ES|Lexus ES) 北米、EU、アジア他



    過去の生産車種

    ※(西暦)は登場年



    [ 1930年代〜1940年代 ]


  • トヨダG1型トラック(1935年)

  • トヨダG1型トラック|トヨダGA型トラック(1936年)

  • トヨダ・AA型乗用車(1936年)

  • トヨダ・AA型乗用車|トヨダAB型フェートン(1936年)

  • トヨダ・AA型乗用車|トヨタAC型乗用車(1943年)

  • トヨタ・AC型乗用車(1947年)

  • トヨペット・SA型小型乗用車(1947年)

  • トヨタ・スタウト|トヨペットSB型小型トラック(1947年)

  • トヨペットSC型小型乗用車(1948年)

  • トヨペットSD型小型乗用車(1949年)


    [1950年代〜1960年代]


  • トヨペットSF型小型乗用車(1951年)

  • トヨタ・スタウト|トヨペットSG型小型トラック(1952年)

  • トヨペット・スーパーRHK型(1953年)

  • トヨペット・スーパーRHN型(1953年)

  • トヨタ・スタウト|トヨペットRK型小型トラック(1953年)

  • トヨタ・トヨエース|トヨペットSKB型小型トラック(1954年)
    トヨエース(1956年)※現行車種

  • トヨタ・クラウン|トヨペット・クラウン(1955年)
    クラウン(1971年)※現行車種

  • トヨペット・マスター(1955年)

  • トヨペット・マスターライン(1955年)

  • トヨペットRK52型小型トラック(1956年)

  • トヨタ・コロナ|トヨペット・コロナ(1957年)
    トヨタ・コロナ|コロナプレミオ(1996年)

  • トヨタ・コロナ|トヨペット・コロナライン(1958年)

  • トヨタ・スタウト|トヨペットRK30/RK35型小型トラック(1957年)

  • トヨタ・スタウト|トヨペット・スタウト(1959年)

  • トヨタ・スタウト|スタウト

  • トヨタ・ダイナ|トヨペットRK65型小型トラック(1957年)

  • トヨタ・ダイナ|トヨペット・ダイナ(1959年)
    ダイナ※現行車種

  • トヨタ・DR型バス(1958 - 1974年、大型バス)

  • トヨタ・パブリカ|パブリカ(1961年)

  • トヨタ・クラウンエイト|クラウンエイト(1964年)

  • トヨタ・スポーツ800|スポーツ800(1965年)

  • カローラ(1966年)※現行車種

  • センチュリー(1967年)※現行車種

  • トヨタ・2000GT|2000GT(1967年)

  • トヨタ・1600GT|1600GT(1967年)

  • トヨタ・ミニエース|ミニエース(1967年)

  • 日野・ブリスカ|ブリスカ(日野・ブリスカのOEM車種)

  • トヨタ・スプリンター|カローラスプリンター(1968年)
    トヨタ・スプリンター|スプリンター(1970年)

  • トヨタ・マークII|コロナ・マークII(1968年)
    トヨタ・マークII|マークII(1984年)


    [ 1970年代〜1980年代 ]


  • トヨタ・セリカ|セリカ(1970年)

  • トヨタ・カリーナ|カリーナ(1970年)

  • トヨタ・カローラレビン|カローラレビン(1972年)

  • トヨタ・スプリンタートレノ|スプリンタートレノ(1972年)

  • トヨタ・スターレット|パブリカスターレット(1973年)
    スターレット(1978年)

  • トヨタ・クレシダ|クレシダ(1977年・海外向け)

  • トヨタ・チェイサー|チェイサー(1977年)

  • トヨタ・ターセル|ターセル(1978年)

  • トヨタ・コルサ|コルサ(1978年)

  • トヨタ・セリカXX|セリカXX(1978年)

  • トヨタ・カムリ|セリカカムリ(1980年)
    カムリ(1982年)※現行車種

  • トヨタ・クレスタ|クレスタ(1980年)

  • トヨタ・ブリザード|ブリザード(ダイハツ・タフト/ダイハツ・ラガー|ラガーのOEM車種)(1980年)

  • トヨタ・ソアラ|ソアラ(1981年)

  • トヨタ・カローラII|カローラII(1982年)

  • トヨタ・スプリンターカリブ|スプリンターカリブ(1982年)

  • トヨタ・カリーナ|カリーナサーフ(1982年)

  • トヨタ・ビスタ|ビスタ(1982年)

  • トヨタ・マスターエース|マスターエースサーフ(1982年)

  • トヨタ・カローラFX|カローラFX(1984年)

  • トヨタ・MR2|MR2(1984年)

  • トヨタ・カリーナED|カリーナED(1985年)

  • トヨタ・コロナクーペ|コロナクーペ(1985年)

  • トヨタ・スープラ|スープラ(1986年)

  • トヨタ・スプリンターシエロ|スプリンターシエロ(1987年)

  • トヨタ・コロナEXiV|コロナEXiV(1989年)

  • トヨタ・セルシオ|セルシオ(1989年)

  • トヨタ・デリボーイ|デリボーイ(1989年)


    [ 1990年代〜2000年代 ]


  • トヨタ・エスティマ|エスティマ(1990年)※現行車種
    トヨタ・エスティマエミーナ|エスティマエミーナ(1992年)
    トヨタ・エスティマエミーナ|エスティマルシーダ(1992年)

  • トヨタ・セラ|セラ(1990年)

  • トヨタ・サイノス|サイノス(1991年)

  • トヨタ・ウィンダム|ウィンダム(1991年)

  • トヨタ・アリスト|アリスト(1991年)

  • トヨタ・カローラセレス|カローラセレス(1992年)

  • トヨタ・スプリンターマリノ|スプリンターマリノ(1992年)

  • トヨタ・セプター|セプター(1992年)

  • トヨタ・カルディナ|カルディナ(1992年)

  • トヨタ・カレン|カレン(1994年)

  • トヨタ・アバロン|アバロン(1995年)※現行車種(北米のみ)

  • トヨタ・グランビア|グランビア(1995年)

  • トヨタ・クラシック|クラシック(1996年)

  • トヨタ・キャバリエ|キャバリエ(シボレー・キャバリエのOEM車種)(1996年)

  • トヨタ・メガクルーザー|メガクルーザー(高機動車の民生型。主に官公庁向けが多く、航空自衛隊|空自でも採用された)(1996年)

  • トヨタ・イプサム|イプサム(1996年)※現行車種
    トヨタ・ナディア|ナディア(1998年)
    トヨタ・ガイア|ガイア(1998年)

  • トヨタ・カムリ|カムリグラシア(1996年)

  • トヨタ・カローラスパシオ|カローラスパシオ(1997年)

  • トヨタ・マークIIクオリス|マークIIクオリス(1997年)

  • トヨタ・レジアス|ハイエースレジアス(1997年)
    レジアス(1999年)

  • トヨタ・プログレ|プログレ(1998年)

  • トヨタ・ビスタ|ビスタアルデオ(1998年)

  • トヨタ・アルテッツァ|アルテッツァ(1998年)

  • トヨタ・デュエット|デュエット(ダイハツ・ストーリアのOEM車種)(1998年)

  • トヨタ・プラッツ|プラッツ(1999年)

  • トヨタ・ファンカーゴ|ファンカーゴ(1999年)

  • トヨタ・キャミ|キャミ(ダイハツ・テリオスのOEM車種)(1999年)

  • トヨタ・ツーリングハイエース|ツーリングハイエース(1999年)

  • トヨタ・グランドハイエース|グランドハイエース(1999年)

  • トヨタ・MR-S|MR-S(1999年)

  • トヨタ・クラウンエステート|クラウンエステート(1999年)

  • トヨタ・Opa|Opa(2000年)

  • トヨタ・プロナード|プロナード(2000年)

  • トヨタ・クルーガー|クルーガー(2000年)
    クルーガーハイブリッド(2005年)

  • トヨタ・オリジン|オリジン(2000年)

  • トヨタ・WiLL Vi|WiLL Vi(2000年)

  • トヨタ・スパーキー|スパーキー(ダイハツ・アトレー7のOEM車種)(2000年)

  • トヨタ・マークIIブリット|マークIIブリット(2001年)

  • トヨタ・カローラランクス|カローラランクス(2001年)

  • アレックス(2001年)

  • トヨタ・ブレビス|ブレビス(2001年)

  • トヨタ・ヴェロッサ|ヴェロッサ(2001年)

  • トヨタ・WiLL VS|WiLL VS(2001年)

  • トヨタ・ヴォルツ|ヴォルツ(2002年)

  • トヨタ・WiLL サイファ|WiLL CYPHA(2002年)

  • 日野・リエッセ|トヨタ・コースターR(日野・リエッセのOEM車種)



    トヨタグループの関係会社等

    トヨタは、戦後すぐに経営危機に陥った時に、日本銀行名古屋支店の斡旋で東海銀行と(旧第一銀行分離後の)帝国銀行の支援を受けた関係から、東海銀行(後のUFJ銀行、現在の三菱東京UFJ銀行)の他、三井銀行(旧帝国銀行、後の太陽神戸三井銀行→さくら銀行、現在の三井住友銀行)を主力取引銀行(メインバンク)としてきた。二木会(三井グループ)にはオブザーバーとして参事し、二木会・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(グループ各社の部課長クラス以上・OBを会員とする親睦クラブ)に加盟している。また、豊田章一郎トヨタ自動車名誉会長の妻は三井家の出身である。なお、旧住友銀行および旧三菱銀行はトヨタが危機に陥った際、真っ先に見捨てる態度を取った。そのためトヨタ内では住友は「仇」と看做されてきた。現在「恩人」であった旧さくら銀行と住友銀行が合併しているため、三井住友銀行との関係は以前より疎遠になっているという指摘もある。しかしながら、トヨタはどちらかといえば独立系
  • posted by アノアノア at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車メーカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年07月06日

    自動車[マック]

    世界の自動車メーカーマック


    マック (MAC, Mac, MUC, Mc)




    企業、企業の商標


  • マクドナルドの略。ハンバーガーショップ。
    日本マクドナルド - 日本のマクドナルドの運営会社
    日本マクドナルドホールディングス - 日本マクドナルドの持ち株会社

  • Macintoshの略。米国アップル社(アップル インコーポレイテッド|Apple Inc.)のコンピュータ。

  • M・A・C, Make-up Art Cosmetics社、あるいはそのブランド名。カナダの化粧品メーカー。

  • 上島珈琲貿易株式会社 (MUC)

  • 松下電器産業が製造していたラジカセの登録商標




    人名


  • マック (ゲール語)は、姓の一部に使われる単語|語または接頭辞で、ゲール語で「息子」という意味。

  • 金子誠の愛称。プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズ。

  • マック鈴木。プロ野球選手。

  • シェーン・マック。読売ジャイアンツに所属していたプロ野球選手。

  • ダグラス・マッカーサーの愛称。アメリカ合衆国の軍人。

  • ラインハルト・マック - クイーン (バンド)|クイーンのプロデューサー

  • マック・クリハラ - 日系アメリカ人のボクシングトレーナー




    その他


  • マック (映画) (MAC and Me)。1988年に、マクドナルドとコカ・コーラの全面タイアップで、火星をテーマにしてつくられた映画。スチュワート・ラフィル監督、ジェイド・カレゴリー主演。

  • メジロマックイーンの略称。日本の競走馬・種牡馬。

  • マック・トラック ()。アメリカ合衆国のトラック専門メーカーでボルボグループの一員

  • マック (ハアブ暦)。マヤ文明|マヤの365日暦(ハアブ暦)の月の1つ。




    架空


  • テレビアニメ、レジェンズに登場するキャラクター、マイク・マクフィールドの通称

  • ゲーム、Pop'n musicに登場するキャラクター。

  • ゲーム、SSX TRICKYの登場人物。

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by アノアノア at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車メーカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年07月05日

    自動車[アルファ・ロメオ]

    世界の自動車メーカーアルファ・ロメオ


    Alfa Romeo(アルファ・ロメオ)は、イタリアの自動車製造会社である。ミラノ市の白地に赤い十字架とヴィスコンティ家の紋章であるサラセン人を呑み込む竜その昔、森の中でドラゴンに呑み込まれそうになっている少年をヴィスコンティ家の勇者が助けたというミラノの伝説から、人を飲み込む竜をモチーフにしている。を組み合わせた楯を表現したフロントグリルを持つ、独特の顔立ちで知られ、フィアットの傘下となって久しい今日でも、その外観の独自性は失われていない。また、アルファ・ロメオのレース部門のドライバーであったエンツォ・フェラーリは後に独立し、フェラーリ社を設立した。彼が自分の車でアルファ・ロメオに勝利したときに、「私は自分の母親を殺してしまった」と語ったという。現在はフィアット傘下において、ブランドイメージのスポーツ性を前面に出した車の開発\xA1 !"@8;:$rC4$C$F$$$k!#
    前輪駆動|FF車と四輪駆動|4WD車のみを生産し、同じフィアット傘下であるフェラーリとマセラティとの競合を避けている。



    歴史




    [ 栄光の発端 ]

    1910年、経営危機に喘ぐフランス・ダラック社のイタリア工場、「ダラック・イタリアーナ」をミラノの企業家集団が買収して創立した A.L.F.A. (Anonima Lombarda Fabbrica Automobili) 即ち「ロンバルダ自動車製造株式会社」(ロンバルダとは「ロンバルディアの」の意)を発祥とする。今に続くミラノ市章の赤十字とかつてミラノを支配したヴィスコンティ家の家紋に由来する人を飲み込む竜(大蛇といわれるが、正しくは竜である)を組み合わせた同社のエンブレムには、当初「ALFA MILANO」の文字が刻まれていた。記念すべき最初の生産車は高性能な「24HP」で、A.L.F.A. はこれを武器に創業1年にして早くもレースを走り始め、その後も「30HP」「40-60HP」の活躍によってスポーツカーメーカーとしての地歩を固めていった。1918年にナポリ出身の実業家ニコラ・ロメオ(Nicola Romeo)が同社を買収し、ここにアルファ・ロメオ のブランドが誕生するが、正式な会社名はニコラ・ロメオ技師株式会社とされた。このニコラ\xA1 !&%m%a%*$,%l!<%99%$-$@$C$?$3$H$,9,$$$7!"%8%e%<%C%Z!&%a%m!<%8$r$O$8$a$H$9$kアルファ・ロメオの技術スタッフは更なる高性能スポーツカー開発に没頭。初期の傑作「RL」シリーズがデビューする。「RL」はあらゆるレースで大活躍し、アルファ・ロメオの名声を一気に高めた。これに勢いを得た同社は念願のグランプリレースに挑戦するため、当時の最強チームのひとつ、フィアット・グランプリ・チームの技術者だったヴィットリオ・ヤーノをフィアット内部のゴタゴタに乗じて獲得する。ヤーノのドローイングボードからはGPマシンの傑作「P2」のほか、同社の屋台骨を支えた高級実用車「6C」シリーズ、や珠玉のレーシング・サラブレッド「8C」シリーズ、そしてグランプリマシンの歴史に永久に名を刻む名車「P3」が次々と産み出され、アルファ・ロメオの名声は世界に轟ぁ /$3$H$K$J$k!#$+$N<+F0アルファ・ロメオが通るたびに脱帽(Hat Off)する」と言ったといわれるが、これはアルファ・ロメオに対する賞賛であると同時に、生産効率に左右されることなく、少数生産、超高価格販売政策のもとで理想の車づくりに邁進できた同社への皮肉めいた羨望であったかもしれない。


    [ 国有化、そして戦火へ ]


    1933年に世界恐慌に端を発する経営難と政治的圧力からイタリア産業復興公社(IRI)の支配下に入り、事実上国営化される。その背後には当時イタリアを支配したベニート・ムッソリーニが深く関わっていたといわれる(ミラノで政治基盤を確立したムッソリーニはアルファ・ロメオを愛用していた)。高い技術力を持つ同社は国策によって軍需産業に組み入れられ、本業のレーシングカー、スポーツカーの製作もそこそこに航空機用エンジンをはじめとする兵器製作に力を注ぐことになる。著名なものとして、マッキ社の単座戦闘機MC.202 (航空機)|MC.202フォルゴーレのエンジンなどがある。1943年、ポルテッロ(Portello)にある本社工場が連合軍の3度にわたる空襲によって廃墟と化す。


    [ 転機・量産メーカーに ]
    1947年、戦前の高級スポーツカー「6C」シリーズの生産を再開。そしてカロッツェリア・トゥーリングの手になる美しいボディをまとった「6C2500」が、ヴ\xA1 %#%i!&%G%9%F$N%3%s%/!<%k!&%G%l%,%s%9$GM%>!!#@$3&0lM%H~$J^;?$5$l$?!#$3$l$r5-G0$7$F!"$3$N%?%$%W$O!V6C2500 Villa D'Este(ヴィラ・デステ)」と呼ばれる。1948年に、経営母体をIRI(イタリア産業復興公社)のまま「アルファ・ロメオ・S.P.A.」に改組する。1950年、超高級・高性能スポーツカーやGTを少数生産するという戦前までのスタイルを自ら捨て去り、新型の「1900」シリーズを引っさげてより確実な利益を見込める大衆量産車メーカーへと転身した。しかしながら大衆車であるはずの「1900」にも、新開発の4気筒DOHCエンジンをはじめ、レースカーで培った高度な技術を惜しみなく投入して開発されていた。このプライドが後に経営を圧迫していくことになる。
    1954年、名車の誉れ高いアルファロメオ・ジュリエッタ|ジュリエッタシリーズがデビュー。最初にセダンボディではなく、スポーツモデルの「スプリント」が登場した。無論、諸事情があってのことだったが、これもアルファ・ロメオらしいエピソードと言える。エンジンはアルファの伝統に則ったDOHCで、1300CCの小排気量ながら最高時速160キロという、当時としてはかなりの高性能車だった。「ジュリエッタ」は、ファミリーカーとしても成功を収める一方、その素性が買われ、多くのエントラントの手で数多のツーリングカーレースや公道レースに参戦、イギリスやドイツの小型車と激戦を繰り広げた。高性能な実用量産車という現在のアルファ車のイメージは、この頃に確立されたと言える。1962年、この年、本拠地がミラノ郊外アレーゼへと移された。そして戦後アルファのイメージを決定づけたアルファロメオ・ジュリア|ジュリアシリーズがデビューする。この車もまた、オールアルミブロックの高性能DOHCエンジン、バルブの材質に熱伝導率の\xA1 M%$l$?%J%H%j%&%`|ソジウムの使用、5速ミッション、4輪ディスクブレーキなど当時としては先進的な機能の搭載によって、同クラスの車と比べても高い性能を誇った。ジョルジェット・ジウジアーロがデザインした美しいボディのクーペモデルは、今なお戦後アルファの代表格として語られている。「アルファ・ロメオ」と聞けば、まずこのジュリア・クーペをイメージする人も多い。「ジュリア」シリーズは、十分な新車開発投資ができないこともあり、排気量の増大によって排ガス規制も乗り切り長期にわたって生産された。特にダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」にも登場した派生モデルの「スパイダー」(デュエット)はクーペの生産終了後、完全に時代遅れのシャシー性能と動力性能となりながらも、アメリカでの根強い人気に支えられ、マイナーチェンジを繰り返し、フィアットの血を入れた新しいスパイダーモデルが発表されるまで生き延びた。


    [ 乱流の時代 ]
    1971年、\xA1 %"%k%U%! !&%m%a%*は、商工業が集中する北部(ノルド)に比べ、農業中心で貧しかった南部(スッド)の雇用創出と経済格差是正という国策に従ってナポリのポリミアーノ・ダルコに進出、同社初の量産FF(フロントエンジン・フロントドライブ)小型大衆車、アルファロメオ・アルファスッド|アルファスッドをデビューさせた。アルファスッドは廉価モデルでありながらボディ・デザインを「ジュリア」で功績のあったジョルジェット・ジウジアーロに託し、スペース効率を上げるために新開発の水平対向エンジンを採用するなど大変意欲的な車で、技術的にも性能面でもアルファの名に恥じないものだった。フロントのオーバーハングにエンジンを低くマウントし、異例にキャパシティの大きいサスペンションを得ることで、後輪駆動のジュリアシリーズ以上のコーナリング性能を手に入れたのである。1966年に日本で発売された スバル・1000 と非常に近似したメカニズムレイアウトを指摘されることがあり、事実、当時のメディアでアルファロメオのジャンクヤードに積み重ねられたスバル・1000の残骸の写真を確認することができ、1968年\xA1 $N%9%P%k!&1000のヨーロッパへの輸出開始時期と併せて考えても、開発の参考とした可能性は高い。ただし、自動車雑誌CAR GRAPHIC|スーパーCGNo.29に掲載されているアルファスッドの開発責任者だったルドルフ・ルスカへのインタビュー記事の中で、同氏はアルファスッド以前の同じレイアウトの車の車名をいくつか挙げ、アルファスッドの設計がそれらに「影響されたわけではない」と主張している。市場に大いなる賞賛を以って迎えられたアルファスッドであったが、労働争議による国内での鉄鋼生産量の著しい減退を補うためにソビエト連邦|ソ連から輸入された鋼板がベルギーやフランスのものより品質が劣っていたこと、工場の建設が計画通りに進まず、その鋼板を数ヶ月も露天に放置していたこと、さらに南部労働力の質的問題による防錆処理の不徹底などから、初期のアルファスッドは「芯から錆びる」クルマとなり、低品質車のレッテルを貼られ、結果としてアルファ・ロメオ全体のイメージを失墜させてしまうこととなった。日本のある自動車ジャーナリストが后 XF~$7$?$H$3$m!"?e$N;D$j$d$9$$Hゴムの周囲から錆び始め、フ\xA1 %m%s%H%& %$%s%I%7!<%k%I$,Mn2<$9$k$K;j$C$?$?$a!"935D$NCN$k%(%T%=!<%I$G$"$k!#2qアルファ・ロメオに実質的な止めを刺したと言ってもよい。1983年に登場した後継車のアルファロメオ・33|33では、品質の問題はかなり改善されたが、アルファスッドの件が影を落とし、国外でのセールスが伸び悩んだ。なお、このナポリ進出以降、エンブレムの「ALFA-ROMEO MILANO」から、「MILANO」の文字がはずされている。1972年、ミラノのアルファ・ロメオから、大成功を収めた「ジュリア」の後継となる新型ファミリーセダンがデビューする。それはアルファロメオ・アルフェッタ|アルフェッタと名付けられた。かつてF1GPで活躍した「Tipo158 / 159」の愛称「アルフェッタ」を引き継いだこの車は、GPカー譲りの高度なメカニズムを持って\xA1 $$$?$N$G$"$k!#9b@-G=DOHCエンジン、対地キャンバー変化の少ないド・ディオンアクスル|ド・ディオンタイプのリアサスペンション、バネ下重量軽減に効果のあるインボードタイプのリア・ディスクブレーキやフロントスプリングをトーションバーとし、車両の前後重量配分を最適化するためトランスミッションをリア差動装置|デフと一体化したトランスアクスルタイプのドライブトレーンなど、これらは何れも車の運動性能と走行性能を高めるための仕掛けで、これらがスポーツカーならいざ知らず、ごくごく普通のファミリーセダンに採用された点がアルファの面目躍如と言え、そろばん勘定がなっていないとも言える。しかしながら、設計の古いエンジンの性能を落とすことによる排出ガス規制への対応、意欲の低い生産現場にそぐわない高度でコスト高の設計、当時の世界的な水準から大きく劣った品質は、財務体質を改善するに至らず、さらにアルファの凋落を進めたとも言える。このシリーズの設計を活かして各種競技に使われたが、やはり機械的信頼性の低さから、ラリーではトラブルによるリタイヤで終わった。
    「アルフェッタ」の基本構造は下級車種アルファロメオ・ジュリエッタ|(新)ジュリエッタ、そしてそれらの後継のアルファロメオ社創立75周年を記念して生産されたアルファロメオ・75|75や上級車アルファロメオ・アルファ6|アルファ6、アルファロメオ・90|90に引き継がれたが、度重なるストライキで労働意欲が低下し、製造技術も世界標準から大きく劣ったアルファ社にとって、これまで以上に凝ったコスト高の製品は、アルファの経営を圧迫することになった。元来、性能性を重視し作業性や生産効率を二の次とする体質から、既にそのような量産車メーカーが存続できない時代であったこと、それをブレイクスルーできる人材にも資金にも恵まれていなかったのがアルファ社の悲劇であった。ちなみに商用量産車として初めて可変バルブタイミング機構を採用したのはアルファである。1984年には日産自動車と提携し、合弁会社「A.R.N.A.(AlfaRomeo and Nissan Automobili)」を設立。共同開発車「アルファロメオ・アルナ|アルナ」を生産した。この車は日産の大衆車「パルサー」の車体にスッド由来の水平対向\xA1 %(%s%8%s$rEk:\$7$?$b$N$G!"%7%c%7!<$O$b$A$m$s!"304Q>e$b%U%m%s%H$K%"%k%U%!EAE}$N%U%m%s%H%0%j%k|盾型グリルが付くほかはパルサーそのもので、イタリア国内ではそこそこ売れたものの、スタイリングは酷評された。日本国内でもこの提携に呼応して「日産・パルサー|パルサー・ミラノX1」というグレードが設定され、日産ディーラーにアルファ・ロメオのエンブレムが躍ったが、それはイメージ戦略以上の何物でもなく、マーケティング上は双方にもたらすものはほとんどなかった。このプロジェクト自体は結局失敗に終わったが、アルファ・ロメオは日本メーカーの持つ高度な生産システムと品質管理について多くを学んだ。


    [ フィアットと共に・再び繁栄が ]

    1986年、長く続く苦境ゆえに筆頭株主であるイタリア政府が株の売却を決定し、量産車メーカーとして覇を競ったフィアット社が膨大な債務とともに1イタリア・リラ|リラで引き受け、その傘下に収まることとなった。海外メーカーであるフォードへの売却も有力であったが、採算を度外視してフィアットが引き受けたのは、イタリアの誇りであるメーカーの海外流出を嫌ったジャンニ・アニェッリの政治力が働いたともいわれている。
    そしてフィアットは自社製品とのプラットフォーム (自動車)|プラットフォーム統合を進める一方、唯一の資産であったブランドイメージの高揚に注力する。前記のFR世代最後のモデル「75」が惜しまれつつ表舞台から退場する一方、1990年代初頭に、カロッツェリア・ザガートとのコラボレーションで限定生産されたアルファロメオ・SZ|SZ/RZは、スポーツカーとしての素性の良さで評判が高かったが、後輪駆動アルファの最後のあだ花となった。フィアット買収直前に「ティーポ4」計画の一環として登場した「164」、買収後の「ティーポ3」計画から誕生し、DTM(ドイツツーリングカー選手権)やBTCC(イギリスツーリングカー選手権)等でその名を轟かせた「155」、その派生型として、独創的なフォルムに纏われて登場したパーソナルモデル「スパイダー/GTV」、155の下級モデルでいながら、各々3ドアハッチバックと5ドアハッチバックセダンという独自の車種展開で登場した「145」と「146」、164の後継車「166」が新時代のアルファ・ロメオの名を担った。
    これらのモデルは、性能ばかりでなく、これまで未消化だった品質と信頼性の確保にも重きが置かれ、アルファ・ロメオの市場競争力を強めた。そして1997年、「156」が登場。伝統に立脚した鮮烈なスタイルと高性能が1998年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを初めてアルファ・ロメオにもたらし、日本を含む世界の大半の市場で好評を得た。さらに2000年に発表された「145/146」の後継車「147」も2001年度カーオブザイヤーに選ばれた。以後、147のクーペ仕様「GT」が登場、2005年には147がフェイスリフトを受け二代目になる。そのほかクーペ「ブレラ」とそのオープンモデル「スパイダー」、156の後継となる「159」が本国で発表されている。2006年9月のモンディアル・ド・ロトモビル|パリサロンにおいて、以前からコンセプトモデルとして提案されてきたアルファロメオ・8Cコンペテァ #%D%#%*!<%M|8Cコンペティツィオーネが、全世界500台限定で発売と発表された。市販化について一切の事前発表がないまま突如としてデビューしたこのモデルは、450馬力を発生する4.7LのV型8気筒エンジンをフロントに搭載、駆動系は75以来となる後輪駆動方式を採用している。実際の生産はマセラティの支援を受けるとされている。値段は日本円で2,200万円とアナウンスされ、その生産台数の少なさと相まって、かつての高級・少数生産メーカーだったころをしのばせるものとなっている。



    モータースポーツ




    [ 草創期 ]

    1921年発表の「RL」シリーズが公道レースやヒルクライムレースで大活躍、アルファ・ロメオはレーシングカーメーカーとしての頭角を現わす。有名な「クワドリ・フォリオ(四葉のクローバー)」が初めてマシンに描かれたのは1923年の第14回タルガ・フローリオの時。マシンは「RLタルガ・フローリオ」で、ウーゴ・シボッチのドライブで見事に優勝し、その後このマークはワークス・チームのシンボルとなった。このころ、同社にレーシングドライバーとして参加していたエンツォ・フェラーリは、アルファ・ロメオの販売会社を開く傍ら、同志を募り、独自のレーシングビジネスを立ち上げた。
    セミ・ワークスチームとして公式チームの出場しないレースでアルファ・ロメオを走らせる、その会社こそが今に続くスクーデリア・フェラーリである。このビジネスは見事成功し、同時にエンツォ・フェラーリはアルファ・ロメオのレース活動に欠かせない存在となっていく。


    [ グランプリ参戦 ]

    1929年秋、いよいよアルファ・ロメオは念願のグランプリマシン開発をメロージに命じる。
    こうして出来たのが「G.P.R(グラン・プレミオ・ロメオ)」またの名を「P1」と呼ばれるマシンで、1923年に発効した排気量2L以下、車重600kg以上というフォーミュラに適合していた(=6気筒1990ccDOHC、80HP/4800rpm、850kg)。このマシンは前年のグランプリを征して傑作マシンと謳われた「フィアット804」を徹底的にコピーしたもので、デビュー戦は1923年9月9日のヨーロッパ・グランプリ(イタリア・モンツァ)と決まった。
    しかし、初のグランプリ前日に、あろうことかエースドライバーのウーゴ・シボッチが練習走行中に事故死してしまう。操縦性に問題があったとされ、チームはレースを棄権して引き上げざるを得なかった。
    ちなみにこのレースはフィアット805に乗るカルロ・サラマーノとフェリーチェ・ナザーロがワンツーフィニッシュを飾ったが、これはスーパーチャージャーつきマシンの最初の勝利で、以後スーパーチャージング全盛時代は戦後のF1グランプリ発効後もなお続くのである。さて、失望のどん底にあったチームは、先にフィアットのレーシングチームを辞してアルファ・ロメオに加わっていたバッツィのアイデアで、804のプレパレーションも行ったスーパーチャージャーのスペシャリスト、ヴィットリオ・ヤーノをフィアットから引き抜くことにした(エンツォ・フェラーリは、これを自分の手柄としているが、ヤーノ自身の述懐によれば、事実はまったく異なる)。実はこのころ、名門フィアットチームでは内部のゴタゴタが原因で、有力メンバーの離脱が相次いでいたのだ。


    [ スター誕生]

    ヴィットリオ・ヤーノがミラノにやってきてから3ヶ月後、「P1」は劇的に改良され、名レーシングカー「P2」(8気筒1987ccDOHC+スーパーチャージャー、140HP/5500rpm、750kg)へと生まれ変わった。1924年6月、クレモナ・サーキットに姿を現した「P2」はアントニオ・アスカーリの操縦でいきなり優勝。続くヨーロッパ・グランプリ(フランス・リヨン)で、カンパーリの駆る「P2」は、王者フィアットを完膚無きまでに叩きのめすという、最高の形で念願のグランプリ初勝利を掴み、フィアットに引導を渡したのである。この後フィアットは衰退し、さらに経営方針の変更によってサーキットを去っていった。続く1925年、史上はじめてグランプリにマニュファクチャラー・チャンピオンシップ制度が設けられると、その栄冠は「P2」を擁するアルファ・ロメオの頭上に輝いた。
    こうしてアルファ・ロメオは、一躍グランプリのスターチームになったのである。しかしそれもつかの間、見えざる手の仕業でアルファは栄光の座を自ら降りざるを得なくなる。


    [ 黄金期の到来]

    真紅の「P2」は大成功を収めたが、1925年、初の世界タイトルに輝いたまさにその年を以て、表向きはアスカーリの事故死を理由に、実際は政治的理由(ファシストの介入)から、突然グランプリ活動を中止させられてしまう。ヤーノ率いる開発チームは、新型グランプリマシンの開発を諦めざるを得なかったが、代わりに市販スポーツカーの開発に集中した。こうして生まれた「6C1500」シリーズは、高性能スポーツカーとしてアマチュアレーサーの注目を集め、各地のレースで大活躍する。さらに1927年に登場した拡大強化版の「6C1750」は、ワークスチームの手によってタルガ・フローリオやミッレ・ミリアをはじめとした主要レースを席巻し、無敵のスポーツカーとして、名声をほしいままにしたのである。その勝利数は枚挙に暇がない。1930年、アルファ・ロメオはエンツォ・フェラーリと取引を行い、「P2」を大幅に改造した新型マシンを、創設間もない「スクーデリア・フェラーリ」に託した。このマシンといっしょにスクーデリアに派遣されたァ 9%?!<%I%i%$%P!アルファ・ロメオは再びグランプリの王者に返り咲いた(その活躍は後の「P3」登場後も続いた)。ヤーノは「8C2300 モンザ」のデビューと同じ1931年にアルファ初のモノポスト・グランプリマシンたる「ティーポA」を完成させた。これは新設計のシャシーにスポーツカー1750の6気筒エンジンを2基並べて搭載したモンスターだったが、過激な操縦性がアダとなってごく短命に終わる。しかし、この経験を活かして、1932年にはグランプリマシンの真打ち、「P3」(「ティーポB」)が登場する\xA1 !#!VP3」は8気筒DOHC 2654ccエンジンにツイン・\xA1 %9!<%Q!< %A%c!<%8%c!<$rHw$(!"215psを発生。最高速は232キロに達した。「P3」は圧倒的な強さで出場するレースに悉く勝利し、伝説のグランプリマシンとなった。ここに及んでレーシング・アルファの名声は決定的なものとなったのである。


    [ 伝説のレース]

    1935年、ナチス・ドイツの威信をかけて開催されたドイツグランプリ|ドイツGPで、アルファ・ロメオのセミ・ワークス・チームスクーデリア・フェラーリからエントリーしたタツィオ・ヌヴォラーリが旧式のアルファ・ロメオ「P3」を駆り、並み居るドイツ勢を振り切って優勝。モータースポーツを国威発揚に利用しようとしたアドルフ・ヒトラー|ヒトラーを歯噛みさせた。当時のメルセデス・ベンツやアウトウニオン(現アウディ)らドイツ勢は、ヒトラー=ナチスから政治的意図による潤沢な資金を得、高い開発力と技術力に裏付けられたモンスターマシンを繰り出してレース界を席巻していた。そのボディシェルは航空機並みの高品質アルミニウムで作られ、銀色に輝くマシンはシルバーアローと呼ばれて恐れられた。イタリアのナショナルチームとして期待されながら、アルファ・ロメオは資金ぁ K$b5;=QuBV$G:.Mp$7$F$$$?!#%j!<%@!<$NE}N($r7g$/アルファ・ロメオ社内では中途半端なレーシング・プロジェクトがいくつも動いているような状態で、とても勝利を狙えるような雰囲気ではなかったという。
    そんな最中のこの勝利は一時イタリア中を熱狂させたものの、実際のところアルファ・ロメオの勝利というよりはタツィオ・ヌヴォラーリの神がかり的な技量に支えられたものであった。ちなみにこのとき、ドイツの勝利を疑わないレース主催者は勝者をたたえるイタリアの国歌|イタリア国歌のレコードを持っておらず、ヌヴォラーリ自らが持参したレコードで面目を保ったという。


    [ 栄光と挫折]

    イタリア人の期待を一身に背負い、しかし国からの援助もなく、資金が枯渇して開発のままならないマシンで孤軍奮闘するチームは、こうして一時の美酒に酔うが、それもこのときまでだった。その後、アルファ・ロメオのレーシング部門では政争が渦巻き、ヌヴォラーリが、ヤーノが、そしてフェラーリが去っていった。やがて戦争がすべてを覆い尽くす。


    [ F1世界選手権への参戦 ]

    1945年、第二次世界大戦が終結すると、空襲を避けるためにミラノ北方オルタ湖近くの乳製品工場に隠しておいた戦前のGPマシン「Tipo158」を持ち帰り、復活したGPレースで早くも大活躍を見せる。その後、1950年にはじめてフォーミュラ1|F1世界選手権が懸けられると、ファン・マヌエル・ファンジオ、ジュゼッペ・ファリーナらが「Tipo158」を駆り、7戦7勝という圧倒的な強さでシリーズを征し、ファリーナが初代F1王者となった。
    1951年、この年もGPで「Tipo158」の改良型、「Tipo159(アルフェッタ)」が大活躍したが、アルファ・ロメオを離れて自らの名を冠したレーシングカーでGPに挑戦するフェラーリに1951年イギリスグランプリ|1951年イギリスGP(シルバーストン・サーキット|シルバーストーン)で初めて敗北を喫する。この時のエンツォ・フェラーリの言葉、「私は母を殺してしまった」はあまりにも有名。シリーズチャンピオンはこの年もアルファ・ロメオとファンジオのものだったが、資金難を理由にこの年限りでF1GPレースから撤退してしまう。最終期は自社マシンの開発もままならず、先に撤退したライバルランチア製のマシンを導入せざるを得ない状況であった。このマシンは同様に自社マシンの開発が頓挫していたフェラーリに譲渡され、皮肉な活躍を見せることとなった。


    [ モータースポーツ活動再開 B ]

    1966年、天才カルロ・キティ率いる「アウトデルタ」を事実上のワークスチーム化して「ジュリアGTA」で欧州ツーリングカーレース選手権を戦い始める。GTAは「アウト・デルタ」監修のもと、クーペボディを鉄|スチールからアルミニウム|アルミ製に換装して200kgの軽量化を達成したレーシング・スペシャルモデルだったが、少数ながら市販された。これにワークスチューンを施した車は「GTAコルサ」と呼ばれ、期待通りにライバルのBMWらを蹴散らしてサーキットを席巻した。他方、ポルシェなどが参戦するグループ6(スポーツカーレース)カテゴリに興味のあったアルファ=アウトデルタは2リッターV型8気筒|V8エンジンをミドに搭載したレーシングプロトタイプ「Tipo33/2」を1967年に開発。驚くべきことに、アルファ・ロメオはこの純然たるレーシングカーにフランコ・スカリオーネがデザインした溜息が出るほど美しいボディシェルを被せ、公道走行モデルとして、ごく少数ながら市販してしまったぁ N$G$"$k!J$=$N?t16台といわれる)。「Tipo33/2ストラダーレ」と呼ばれたそのモデルには当時のフェラーリの10倍とも言われるプライス・タグがつけられた。1973年、グループ6のレーシングカー・プロジェクトは水平対向エンジン|水平対向12気筒エンジンをチューブラーシャシーに架装する「Tipo33/TT12」に発展し、トップカテゴリで活躍した。こうして戦後レーシングシーンにおいても華々しい成功を収めたことで、戦前の栄光を知らない世代にも新しいアルファのレーシングイメージが浸透していった。



    [ F1への復帰 ]
    1951年のF1撤退後、1960年から1971年にかけてはアルファロメオ製のエンジンを使い、出走するチーム(デ・トマソ、LDS、マクラーレン、マーチ (F1)|マーチなど)がいくつかあった。また、1963年と1965年に、アルファ・ロメオ・スペシャルとして一時的にF1に復帰した時期もあった。ついに1976年、水平対向12気筒エンジンをイギリスに本拠を構えるF1チームブラバムに供給として本格的にF1に復帰。とびきりのパワーがある反面、重く燃費の悪いエンジンにチームは苦労するが、1978年には前年のワールドチャンピオン、ニキ・ラウダを擁して優勝している。1979年、ブラバムチームとの契約を終え、いよいよアルファ・ロメオは自社開発のF1マシンでGP復帰を果たす。エンジンは、1980年からはV12、! 1983年からはターボを搭載し、2位2回の成績をあげた。1983年までは、マクラーレンと同じマールボロがメインスポンサーについたため、そっくりな紅白のカラーリングである。1984年、1985年はベネトン・フォーミュラ1|ベネトンがメインスポンサーとなるが、エンジンの信頼性が低く、1985年のシーズンは、ノーポイントに終わり、当時のドライバーのリカルド・パトレーゼは、「自身、最悪のシーズン」と振り返るほど低迷し、ワークスチームはこの年限りで撤退した。その後1988年まではプライベーターがオゼッラにエンジンの供給を行った。そのころすでに会社は存続の危機を迎えていた。



    車種一覧
    のパトロールカー



    [ 現行車種 ]


  • アルファロメオ・147|147

  • アルファロメオ・159|159

  • アルファロメオ・166|166

  • アルファロメオ・GT|GT(イタリア本国では生産中止)

  • アルファロメオ・ブレラ|ブレラ

  • アルファロメオ・スパイダー|スパイダー

  • アルファロメオ・8Cコンペティツィオーネ|8Cコンペティツィオーネ


    [ 絶版車種 ]


  • アルファロメオ・24HP|24HP

  • アルファロメオ・12HP|12HP

  • アルファロメオ・40-60HP|40-60HP

  • アルファロメオ・RL|RL

  • アルファロメオ・RM|RM

  • アルファロメオ・6C|6C

  • アルファロメオ・8C|8C

  • アルファロメオ・1900|1900

  • アルファロメオ・2000/2600|2000・2600ベルリーナ/スプリント/スパイダー/SZ

  • アルファロメオ・ジュリエッタ|ジュリエッタ(初代)

  • アルファロメオ・ジュリア1300GTジュニア|ジュリア

  • アルファロメオ・1750/2000|1750・2000ベルリーナ/GTV

  • アルファロメオ・ジュニアZ|1300/1600ジュニアZ

  • アルファロメオ・ティーポ33/2ストラダーレ|ティーポ33/2ストラダーレ

  • アルファロメオ・モントリオール|モントリオール

  • アルファロメオ・アルフェッタ|アルフェッタ・ベルリーナ/GT

  • アルファロメオ・アルファスッド|アルファスッド・ベルリーナ/スプリント

  • アルファロメオ・ジュリエッタ|ジュリエッタ(ヌオーヴァ)

  • アルファロメオ・アルファ6|アルファ6

  • アルファロメオ・33|33

  • アルファロメオ・アルナ|アルナ

  • アルファロメオ・90|90

  • アルファロメオ・75|75

  • アルファロメオ・SZ|SZ/RZ

  • アルファロメオ・164|164

  • アルファロメオ・155|155

  • アルファロメオ・GTV|GTV・スパイダー(916系)

  • アルファロメオ・145|145

  • アルファロメオ・146|146

  • アルファロメオ・156|156



    日本におけるアルファ・ロメオ




    [ 日本での輸入元 ]

    かつては伊藤忠オートが長らく輸入していたが、1986年にはコスモ石油系の「株式会社アルファロメオジャパン」が輸入し、1988年には大沢商会が総輸入元になった。その後1990年にフィアット・アルファロメオの正式な日本法人として「アルファロメオジャパン株式会社」が設立され、フィアット車と併売の全国正規販売網「アレーゼ」が構築された。その後1997年に「フィアットオートジャパン株式会社」と法人名が変更され、2003年にはアレーゼ販売網が「アルファロメオ」販売網にリニューアルされる。2007年8月、社名を「フィアットグループオートモービルズジャパン株式会社」に改称する。
    [http://www.jaia-jp.org/j/data/importer/132_1.html]


    [ 日本語表記について ]


  • 二玄社やネコ・パブリッシングの書籍や雑誌では「アルファ・ロメオ」と表記するが、フィアット オート ジャパンでは半角あきの「アルファ ロメオ」と表記している。



    関連項目
    * ミッレミリア

  • ジャンニ・アニェッリ

  • モータースポーツ

  • F1コンストラクターの一覧

  • F1世界チャンピオンの一覧

  • 自動車製造者の一覧

  • 卒業 (1967 映画)|卒業 - ダスティン・ホフマン出演の映画。



    脚注




    外部リンク


  • アルファ・ロメオ社公式サイト (イタリア)

  • アルファ・ロメオ社公式サイト (英語サイト)

  • フィアットオートジャパンによるアルファロメオ公式サイト


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    2008年07月04日

    自動車[バーキン]

    世界の自動車メーカーバーキン


    ・女優、ジェーン・バーキン
    ・エルメスのバッグの一種。1.に由来している。
    ・南アフリカの自動車メーカー。ロータス (自動車)|ロータス・ロータス・スーパーセブン|スーパー7のレプリカ「バーキン7」を製造しており、日本へも輸出している。
    ・''俗語'':バーガーキングの略称。


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    2008年07月03日

    自動車[マイバッハ]

    世界の自動車メーカーマイバッハ


    マイバッハ(Maybach)は、ドイツのエンジン製造会社。1966年にダイムラー・ベンツの傘下となり、1969年には''Motoren und Turbinen Union''と改名された。2002年にはダイムラー・クライスラー(現ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー)の乗用車のブランド名及び商品名として復活している。日本では、短命に終わった悲運のディーゼル機関車・国鉄DD54形ディーゼル機関車のエンジンメーカーとして知られる。近年では、JR貨物DF200形ディーゼル機関車の初期形にも、マイバッハの後身にあたるMTU製の1,700PSV型12気筒エンジンが用いられている。




    歴史

    ゴットリープ・ダイムラーと共にガソリンエンジン|エンジン研究を行っていたヴィルヘルム・マイバッハが 1909年に息子であるカール・マイバッハと設立したのが始まりである。ヴィルヘルムは当時のダイムラー社の主任技師として、1901年に発売されたメルセデス第1号車を設計。1909年にダイムラー社を去り、フェルディナンド・フォン・ツェッペリン|ツェッペリン伯爵のために会社を設立(''Maybach-Motorenbau GmbH'')した。V型12気筒エンジンを搭載した飛行船ツェッペリン|ツェッペリン号のエンジンを製作していたのはマイバッハであり、これにより世にその名を知らしめることとなった。第一次世界大戦後は自動車や鉄道用のエンジンを製作した。1935年以降第二次世界大戦終結までドイツ軍戦車のガソリンエンジンは、ほぼマイバッハが独占していた。1952年のカール・マイバッハ引退を期にダイムラー・ベンツが 50% の株式を所有するようになり、後に傘下に納められた。その後身であるMTUは鉄道車両、船舶、軍用車両、産業用などに向けたディーゼルエンジンの製造を行っている。


    [第二次世界大戦前]

    1920年から1930年にかけてマイバッハ社は超高級乗用車を製作していた。代表的な車種はマイバッハ?ツェッペリン。そのマイバッハ?ツェッペリンの価格は36000RMでグローサー?メルセデス(41000RM)に次ぐ価格である。


    [車種]


  • マイバッハ・ツエッペリン DS8

  • マイバッハ・SW 42


    [新・マイバッハ]

    ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー・クライスラー(当時)は2002年、マイバッハの名称を冠した高級車を復活させた。ショートホイールベースの「57」とそのスポーツ仕様の「57S」、ロングホイールベースの「62」と、「62S」の4モデルが存在する。これらには同社が考える最高の技術と厳選した素材が使用されているとされる。車体剛性の高さと、それによる安定性やNVH(音振=おとしん・突き上げ)性能は、メルセデス・ベンツ Sクラスを上回る。装備や仕様はオーダーメイドで、内装の化粧板をウッドから大理石にすることも可能。市販車としては最も高額な乗用車のひとつである。


    [日本における販売]

    東京都港区 (東京都)|港区には六本木ショールームがある。予約が必要で、通常、商談は一日一組となっている。車両本体以外に、外板色、内装材の見本が全て取り揃えられており、色の組み合わせや、素材の手触りを実際に確認してから注文することができる。セールス担当者が顧客のもとで出張商談を行う際は、これらの素材をコンパクトにまとめた営業ツールを持参する。代金を銀行振り込みとすること以外に特別な購入条件などは無い。ただし任意保険の加入条件は、保管場所の要件(世界最高級車であり盗難などの保安面のリスクが高い)を含め、それなりに厳しい。納車の際は、顧客の指定した時間と場所まで、専用のトランスポーターで運ばれる。目黒区に直営のサービス工場がある。新潟市のヤナセには57が常時、展示されている。価格は約4400万円から。最高級のオーダーメイドプランを組んだ場合は1億円程度になると言われる。装備の価格例としては、サンルーフが180万円、パーティションが400万円などで、パーティションとセットでインターコム・システムがオプション。約100万円(ロングモデル)から200法 |1_!J%7%g!<%H%b%G%k!K$N6b3[$rDI2C$9$k$3$H$K$h$j!"1&%O%s%I%k


    [車名の由来]

    当初、この車にもメルセデス・ベンツの名を用いる案があったが、「Sクラス」こそが最高のメルセデスであるという声に配慮したことと、従来のメルセデスとは異なる販売方法を採用したために、あえてマイバッハという別名を冠した。なお、ウィルヘルム・マイバッハは、ゴットリープ・ダイムラーと共に世界初の4輪ガソリン自動車を発明した人物で、ダイムラー、カール・ベンツと並び、ガソリン自動車の発明者の一人に数えられる。その存在が無ければ後のダイムラー・ベンツ、ダイムラー・クライスラーひいては今日のダイムラーは無かったとも言われるほどの技術者|技師であった。


    [モデル名の由来]

    モデル名である、62や57などの二桁のナンバーは、ヨット(本来のヨットのほか、日本でプレジャボートと呼ばれるもの)などと同様、その全長を示したものである。



    エクセレロ
    2005年5月11日、ダイムラー・クライスラーはベルリンのテンポドロールにてハイパフォーマンス・ショーモデルである「エクセレロ」を公開。このモデルはドイツのタイヤメーカー、フルダ社のために製造された。同社は1930年代にマイバッハをベースにパワフルなスポーツカーを製作し、タイヤの性能テストに用いていた過去を持ち、この車をタイヤテストに使用したり、新開発の次世代ワイドタイヤを象徴するモデルとしても活用するとした。性能においてはイタリアのナルドサーキットにおいて、FIA標準計測基準で最高速度351.45km/hを記録。「エクセレロ」は、マイバッハ・57をベースに2シーターのオリジナルモデルとし、イタリアのトリノに拠点を持つプロトタイプ車のスペシャリストであるストーラ社が製作、デザイン開発作業にはドイツのフォルツハイム工科大学が参画している。なおマイバッハでは、エクセレロの量産化予定はないという。



    外部リンク


  • Maybach-Manufaktur.com

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    2008年07月02日

    自動車[フェラーリ]

    世界の自動車メーカーフェラーリ


    フェラーリ(Ferrari S.p.A)はイタリアの自動車メーカーである。現在はフィアットグループの傘下にあり、本社はモデナ県マラネッロにある。基本的に高級グラントゥーリズモ|GTカー及び高級スポーツカーしか製造していない。
    __TOC__



    沿革

    1947年に、アルファ・ロメオのレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。創立当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営の会社として機能していたが、やがて自社のレーシングカーを開発するようになり、アルファ・ロメオ社のレース撤退と共にその資産を受け継いだ。当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなどと不評も多かった。シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。当時の市販車は、それまでのフェラーリ Bにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。その割りに工業製品としての品質はかなり低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ剛性、サスペンションシステム、ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての素質はいまひとつであった(これはそもそもフェラーリ社がスポーツカーとしての設計をしていなかったためともいえよう)。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただし、レース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。


    [ フィアット傘下へ ]

    1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォード・モーター|フォードから買収を持ちかけられるが(一説にはエンツォからアプローチしたともいわれるが、いずれにしても、「向こうがその気なら話を聞いてやらんでもない」という感じの終始尊大な態度だったという)買収金額をめぐって交渉は決裂。1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。この買収の決裂を受けて、フォードは後に独自のスポーツカーフォード・GT40を開発し、その資本力に物を言わせ、ル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破り、一矢報いることになる。フィアットの傘下に入った後、フェラーリ・DINO 206|DINO 206/フェラーリ・DINO 246|246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはフィアット・ディーノ|ディーノ・クーペ/スパ\xA1 %$%@!フェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利なのにもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとしてV型8気筒エンジンを搭載したスモールフェラーリフェラーリ・308GTB|308」シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。308のエンジンはランチアのレーシングマシンやランチア・テーマに使用された。\xA1 !J%i%s%A%"!&%F!<%^8・32の「32」は3.2Lぁ G$O$J$/! "32バルブの意である)。これはやがてフェラーリ・328GTS|328へと発展し、そして、フェラーリ・348tb|348へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、現在のフェラーリ・F430|F430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。エンツォ没後、1991年にフィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリ社長に就任。エンツォ亡き後『エンツォの居ないフェラーリフェ\xA1 %i!<%j足り得るか?』とも言われたが、フェラーリ・456GT|456GT、フェラーリ・F355|F355を開発、劇的な品質の改善に成功し、好調な業績を上げてきている。モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下にマセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。F430のエンジンはマセラティ・クアトロポルテと共有であり(マセラティの方が先行採用)、フィアット、ランチア、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、アルファ・ロメオとは共有したことがなかった。しかしアルファロメオ・8Cコンペティツィオーネの市販決定により、ついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる。



    日本における販売

    1965年から1968年までは新東洋企業が輸入、販売を担当

    1968年から1972年までは西欧自動車が輸入、販売を担当

    1971年から1974年までは西部自動車が輸入、販売を担当

    1975年から1978年まではロイヤル・モータースが輸入、販売を担当

    1979年から2008年7月1日まではコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドが輸入、販売を担当このように日本ではフェラーリ本社とは資本関係のない独立系のインポーターが輸入を担当してきたブランド別インポーター(日本自動車輸入組合)が、2008年2月、フェラーリ本社の100%出資で2008年7月1日にフェラーリ・ジャパンが設立され、フェラーリの輸入業務を行う。コーンズ ニュース(2008年2月22日)

    パーツ管理やPDI業務については2009年末までコーンズが行い、それ以降は全てフェラーリ・ジャパンの管轄下となる。日本におけるフェラーリの販売台数は376台(2007年)であった。これは世界全体の販売の5.8%を占め、アジア・太平洋地域で最大フェラーリ、日本法人「フェラーリ・ジャパン」を設立 『カービュー』 2008年2月22日、世界でも第5位の大市場フェラーリ、日本法人「フェラーリジャパン」を設立 『WebCG』 2008年2月22 BF|となっている。



    カヴァッリーノ・ランパンテ

    イタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ(Cavallino Rampante)」という後足で立ち上がった馬の紋章を使用するため、「跳ね馬」の愛称を持つ(但し、正しい日本語訳は「立ち馬」であるが、英訳ではprancing horse「跳ねる馬」となっている)。この「跳ね馬」はエンツォ・フェラーリの兄アルフレードが第一次世界大戦時に所属していたイタリア空軍第91飛行隊のエンブレムであり、エンツォはこの部隊に属していた撃墜王、故フランチェスコ・バラッカ少佐の母から使用の許可を得たとして、フェラーリの紋章とした、と言われている。しかしながらイタリアの英雄の母親とはいえ、息子の部隊章の使用許可を与える権限などあるはずもなく、エンツォが彼女の思いつきのようなアドバイスを採用したというのが実情らしい。本来は、この跳ね馬の紋章はバラッカが撃墜したドイツのパイロットが付けていた紋章から取ったもので、高性能・高級スポーツカーブランドとして覇を競ったポルシェ社の紋章と同じく、ル\xA1 !<%D$,%7%e%H%%%C%H%,%k%H;T$N;T>O$K$"$k!#
    ちなみに、フェラーリのイメージカラーとして、赤(ロッソ)が非常に有名であるが、本来のコーポレート・カラーは「黄色」である。これは会社がモデナ県マラネッロにあり、そのモデナ県の「色」が黄色であることに因む。それを裏付けるかのように、フェラーリの黄色い外板色の名前は、「ジャッロ・モーデナ」である。特に、社旗のデザインは、社章の延長線上で黄色の旗に黒色でカヴァッリーノ・ランパンテを描く(或いは、加えてFerrariのロゴが入る)だけのシンプルなデザインであり、サーキットなどで見かける赤色をベースにした旗は、基本的にアンオフィシャルなデザインである。現在では赤色も暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車のカラーオーダーメイドプランでは、赤色と黄色は原則として取り扱いをしない。また、量産車の新車発表時には、赤色と黄色の車両を用意するように配慮されている。



    車種一覧




    [ 現行車種 ]


  • フェラーリ・F430|F430、F430スパイダー - MR・2シーター

  • フェラーリ・F430#430Scuderia|430スクーデリア - MR・2シーター

  • フェラーリ・599|599 - FR・2シーター。現フラグシップ機|フラッグシップモデル。正式名称は599GTB Fioranoだが、日本仕様では商標の関係で599となる)

  • フェラーリ・612スカリエッティ|612スカリエッティ - FR?4シーター


    Image:Ferrari 599 GTB Fiorano.jpg|フェラーリ・599|599
    Image:Ferrari 612 Scaglietti Meilenwerk.jpg|フェラーリ・612スカリエッティ|612スカリエッティ
    Image:Ferrari-F430-DC-1.jpg|フェラーリ・F430|F430
    Image:Ferrari F430 Spider (2).jpg|F430スパイダー
    Image:Ferrari F430 Scuderia.JPG|430スクーデリア



    [ 過去の主な車種 ]


  • ''年数は発表・発売・デビュー年''

  • フェラーリ・FXX|FXX (2005年)

  • フェラーリ・スーパーアメリカ|スーパーアメリカ (2005年)

  • エンツォ・フェラーリ (自動車)|エンツォ フェラーリ (2002年)

  • フェラーリ・575Mマラネロ|575M (2002年)

  • フェラーリ・550|550 BARCHETTA (2000年)

  • フェラーリ・360|360ChallengeStradale (2003年)

  • フェラーリ・360|360Challenge (1999年)

  • フェラーリ・360|360モデナ、スパイダー (1999年)

  • フェラーリ・550|550 マラネロ (1996年)

  • フェラーリ・F50|F50 (1995年)

  • フェラーリ・F50GT|F50GT

  • フェラーリ・F512M|F512M (1995年)

  • フェラーリ・F355Challenge|F355Challenge (1995年)

  • フェラーリ・333SP|333SP (1994年)

  • フェラーリ・F355|F355Berlinetta、GTS (1994年)

  • フェラーリ・F40LM|F40LM (1994年)

  • フェラーリ・456|456、456M、456GT、456GTA (1992年)

  • フェラーリ・F40Competizione|F40 Competizione (1991年)

  • フェラーリ・512TR|512TR (1991年)

  • フェラーリ・348GTB|348Challenge (1994年)

  • フェラーリ・348GTB|348GTB、フェラーリ・348GTB|GTS、フェラーリ・348GTB|Spyder (1993年)

  • フェラーリ・348tb|348tb、フェラーリ・348tb|ts (1989年)

  • フェラーリ・F40|F40 (1987年)

  • フェラーリ・288GTOEvoluzione|288GTO Evoluzione (1986年)

  • フェラーリ・288GTO|288GTO (1984年)

  • フェラーリ・328GTS|328GTB、フェラーリ・328GTS|GTS (1985年)

  • フェラーリ・412GT4 2+2|412GT4 2+2 (1985年)

  • フェラーリ・テスタロッサ|テスタロッサ(TESTAROSSA) (1984年)

  • フェラーリ・モンディアル|Mondial t (1989年)

  • フェラーリ・モンディアル|3.2 Mondial (1985年)

  • フェラーリ・モンディアル|Mondial QV (1982年)

  • フェラーリ・512BB|512BBi (1981年)

  • フェラーリ・モンディアル|Mondial、フェラーリ・Mondial|Mondial 8 (1980年)

  • フェラーリ・512BB|512BBLM (1979年)

  • フェラーリ・512BB|512BB (1976年)

  • フェラーリ・400GT4 2+2|400GT4 2+2 (1976年)

  • フェラーリ・308GTB|308GTB、フェラーリ・308GTB|GTS (1975年)

  • フェラーリ・365GT4 BB|365GT4 BB (1973年)

  • フェラーリ・DINO308GT4|DINO308GT4 (1973年)

  • フェラーリ・365GT4 2+2|365GT4 2+2 (1972年)

  • フェラーリ・365GTB|365GTC/4 (1971年)

  • フェラーリ・312PB|312PB (1971年)

  • フェラーリ・512|512S、フェラーリ・512|512M (1971年)

  • フェラーリ・DINO246|DINO246 (1969年)

  • フェラーリ・DINO206|DINO206 (1968年)

  • フェラーリ・365GTB4 デイトナ|365GTB4 デイトナ (1968年)

  • フェラーリ・412P|412P (1967年)

  • フェラーリ・P|330P4 (1967年)

  • フェラーリ・P|330P3 (1966年)

  • フェラーリ・330|330GTS (1966年)

  • フェラーリ・275GTB/4|275GTB/4 (1966年)

  • フェラーリ・275GTB|275GTB (1964年)

  • フェラーリ・250|250GT Lusso (1964年)

  • フェラーリ・330|330GT (1964年)

  • フェラーリ・500Superfast|500Superfast (1964年)

  • フェラーリ・330|330 (1963年)

  • フェラーリ・330LMB|330LMB (1963年)

  • フェラーリ・P|250P、フェラーリ・P|275P、フェラーリ・P|330P (1963年)

  • フェラーリ・250LM|250LM (1963年)

  • フェラーリ・250GTO|250GTO (1962年)

  • フェラーリ・250|250Tdf

  • フェラーリ・250|250GT Spyder California SWB (1960年)

  • フェラーリ・250|250GT Berlinetta SWB (1959年)

  • フェラーリ・250|250GT/E (1959年)

  • フェラーリ・250TR|250TR (1957年)

  • フェラーリ・290MM|290MM (1956年)

  • フェラーリ・500TR|500TR (1956年)

  • フェラーリ・625LM|625LM (1956年)

  • フェラーリ・860Monza|860Monza (1956年)

  • フェラーリ・410SASuperfast|410 SA Superfast (1955年)

  • フェラーリ・750Monza|750Monza (1954年)

  • フェラーリ・375MM|375MM (1953年)

  • フェラーリ・250|250MM (1953年)

  • フェラーリ・340Mexico|340Mexico (1952年)

  • フェラーリ・225S|225S (1952年)

  • フェラーリ・166Inter|166Inter (1949年)

  • フェラーリ・166MM|166MM (1948年)

  • フェラーリ・125S|125S (1947年)
    Image:1962 Ferrari 250 GTO 34 2.jpg|フェラーリ・250|Ferrari 250GTO
    (1962)
    画像:Ferrari 330 gtc.jpg|フェラーリ・330|Ferrari 330GTC
    (1966)
    Image:Ferrari Dino 246 GTS Spider green.jpg|フェラーリ・ディーノ|Ferrari Dino246 GTS
    (1970)
    Image:1972 Ferrari Daytona convertible.jpg|フェラーリ・デイトナ|Ferrari Daytona
    (1972)
    画像:Ferrari-TESTAROSSA-02.jpg|フェラーリ・テスタロッサ|Ferrari TESTAROSSA
    (1984)
    Image:FerrariGTO.jpg|フェラーリ・288GTO|Ferrari 288GTO
    (1984)
    Image:FerrariF40.jpg|フェラーリ・F40|Ferrari F40
    (1987)
    Image:Ferrari F50.jpg|フェラーリ・F50|Ferrari F50
    (1995)



    [ コンセプトモデル ]


  • フェラーリ・P5|P5

  • モデューロ

  • レインボー

  • フェラーリ・P6|P6

  • フェラーリ・ROSSA|ROSSA

  • MYTHOS(ミトス)

  • フェラーリ・612スカリエッティ#GG50|GG50

  • ミレキリ(Millechili)

  • フェラーリ・F430バイオ・フューエル(Bio Fuel)



    関連項目


  • モータースポーツ

  • ケーニッヒ

  • ランボルギーニ

  • ミッレミリア

  • 奥山清行

  • スーパーカー

  • カレラ・パナメリカーナ・メヒコ

  • F355チャレンジ

  • アウトラン

  • スーパーカーと暮らす 〜My Sweet Honey〜

  • B'z The Best "Pleasure II"

  • シボレー・コルベット - 6代目(C6)のボディデザインに影響を受けた

  • コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド

  • ロアッソ熊本

  • サーキットの狼

  • 清水草一



    脚注




    外部リンク
    * フェラーリ社(伊)

  • フェラーリ・ワールド

  • コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド(正規代理店)

  • Ferrari Museum

  • Ferrari Club Automobile

  • フェラーリオーナーズクラブ(ジャパン)

  • フェラーリ検索エンジン(FERRARI-SEARCH)

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    2008年07月01日

    自動車[マツダ]

    世界の自動車メーカーマツダ


    |略称 = マツダ
    |郵便番号 = 730-8670
    |本社所在地 = 広島県安芸郡 (広島県)|安芸郡府中町新地3番1号
    |電話番号 = 082-282-1111
    |設立 = 1920年1月30日
    |業種 = 3700
    |事業内容 = 乗用車・トラックの製造・販売等
    |代表者 = 代表取締役会長兼社長 井巻久一
    |資本金 = 1,500億6,800万602円
    (2008年3月31日現在)
    |売上高 = 単体2兆4,642億円
    連結3兆4,757億円
    (2008年3月期)
    |総資産 = 単体1兆6,207億円
    連結1兆9,855億円
    (2008年3月31日現在)
    |従業員数 = 単体2万732人
    連結3万9,441人
    (2007年9月30日現在)
    |決算期 = 毎年3月31日
    |主要株主 = フォード・モーター 33.9%
    |主要子会社 = 株式会社マツダオートザム
    |関係する人物 = 松田重次郎(事実上の創業者)
    松田恒次(3代目社長)
    |外部リンク = www.mazda.co.jp
    }}マツダ株式会社(英語名: ''MAZDA Motor Corporation'') は、広島県安芸郡 (広島県)|安芸郡府中町に本社を置く日本の自動車・発動機メーカー。通称「マツダ」、漢字表記「松田」。



    概要

    本社は広島県安芸郡 (広島県)|安芸郡府中町にある。ロータリーエンジンを搭載した自動車を量産し続けている世界で唯一の企業。バブル期の拡大路線でつまずき一時経営不振に陥る。そこでフォードは経営陣を派遣し、経営改善に努めた。2000年代に入ってから販売不振にあえぐフォードとは対照的に、「ZOOM-ZOOM」のキャッチフレーズで、マツダが本来得意とする日本車離れしたスタイルと、走行性能を重視した独自の商品戦略で幅広く好評を得るようになり、長期にわたって低迷していた業績のV字回復を果たした。特に欧米で販売好調が続いており、2007年度の営業利益は1,585億円を記録した。現在はアメリカ合衆国|アメリカの自動車会社フォード・モーターが株式の約29%を所有する。フォードの非連結関連会社である。自動車の検査|自動車検査証上の表記や一般的な通称は「マツダ」、漢字は「松田」、英語表記「MAZDA」。中国語表記は、中国では「?! 自?」、香港では「萬事得」、台湾では「馬自達」となっている。なお、住友グループの白水会には名を連ねていないが、住友グループとは関係が深い。一部の資料では、マツダを住友グループに含めているものがある(このようなメーカーは他にアサヒビールや松下電器産業などがある)。但し、住友銀行主体の経営失敗から住友に対しての社内外からの評価はあまり高くなく、フォード傘下に入った時、銀行屋より自動車屋の方がましとの評価があった。現在の企業キャッチフレーズは「ZOOM-ZOOM」で、もともと、映画、「オンリー・ザ・ストロング」(:en:Only The Strong|Only The Strong)がきっかけで 、各国のモーターショーやテレビCM曲にも使われている。2005年から放映されている日本国内向けのCMでは、「♪ZOOM-ZOOM-ZOOM〜走る喜び〜」から始まる日本語の歌詞が加えられた「ZOOM-ZOOM」の曲に変更されている。フォードとは、以前からアジアオセアニア地\xA1 0h8~$1$rァ ^%D%@ の車両ベースで販売したり、日本国内ではオートラマ店(現フォード・モーター|フォード店)扱いで、マツダ車を日本フォードのブランドとして販売する関係であったが、フォード主導での経営再建後は、マツダの得意分野である、FUNな乗り味や、若々しいデザインを活かし、フォードグループのエンジン開発や、フォードグループ共通のプラットフォーム (自動車)|プラットフォーム開発など、フォード本体の車両開発に大きく関わるようになり、マツダはフォードグループの一員としての重責を果たすようになる。バブル期から1990年代末にかけて、フランス・シトロエン車やイタリア・ランチアの輸入をしていた時代もある。シトロエンは系列のユーノス店 (ほぼ全店舗) 、シトロエン・BX|BXやシトロエン・エグザンティア|エグザンティアが販売され、ランチアは一部のオートザム店でランチア・テーマ|テーマやラン\xA1 %A%"!&%G%k%?|デルタやランチア・Y10|アウトビアンキ/ランチア・Y10を販売していたが、フォードとの関係強化に伴い撤退した。企業博物館のマツダミュージアムを、宇品工場内に開設している。



    社名について

    社名は、創業者・松田重次郎の姓から。東洋コルク工業株式会社に端を発し、その後東洋工業株式会社となる。1984年に社名をブランド名のマツダ株式会社に改称。現社名の英語表記をローマ字表記のMATSUDAとせず、MAZDAとしたのは英語の字面が悪いこと、またゾロアスター教の主神アフラ・マズダーのつづりからとったという逸話がある。



    歴代社長





    車種一覧




    [ 国内現行車種 ]




    [ 乗用車 ]




    [ 商用車 ]


  • マツダ・スクラム|スクラムトラック(スズキから供給される、スズキ・キャリィ|キャリィのOEM車種)

  • マツダ・スクラム|スクラムバン(スズキから供給される、スズキ・エブリィ|エブリィのOEM車種)

  • マツダ・タイタン|タイタン(いすゞ自動車から供給される、いすゞ・エルフ|エルフのOEM車種)

  • マツダ・タイタン|タイタンダッシュ 【ボンゴブローニイトラック後継】

  • マツダ・ファミリア|ファミリアバン(日産自動車から供給される、日産・ADバン|ADバンのOEM車種)

  • マツダ・ボンゴ|ボンゴ(日産自動車に日産・バネット|バネットとして、三菱自動車工業|三菱自動車に三菱・デリカ|デリカ・バンとしてOEM供給されている)

  • マツダ・ボンゴブローニイ|ボンゴブローニイ(三菱自動車工業|三菱自動車に三菱・デリカ|デリカ・カーゴとしてOEM供給されている)


    [ 海外専売車種 ]


  • マツダ・トリビュート|トリビュート(2005年12月に日本国内での製造・販売を終了)

  • マツダ・BT-50|BT-50

  • マツダ・CX-9|CX-9


    [ 今後の車種展開 ]

    「今後発売が予想される車種」及び「今後販売終了が予想される車種」、また同様の意味を持つ節の設置についてはプロジェクトとして禁止されています。以下の節の追加には、ソースの明記を義務化する(極力一次ソースを優先する。一般紙・テレビの情報もメーカーに取材した物で、サイトに明記した情報が有れば可とする。)。



    [ メーカーより今後発売が公表されている車種 ]





    [ メーカーより今後販売終了が公表されている車種 ]



    [過去の販売車種]




    [ セダン/ハードトップ ]


  • マツダ・カペラ|カペラ

  • マツダ・グランドファミリア|グランドファミリア

  • オートザム・クレフ|クレフ

  • マツダ・クロノス|クロノス

  • マツダ・コスモ|コスモ

  • マツダ・サバンナ|サバンナ(日産自動車の日産・スカイライン|ハコスカの連勝記録を止めたロータリーエンジン搭載車。RX-3は海外とモータースポーツでの名称。)

  • マツダ・ファミリア|ファミリア

  • マツダ・ペルソナ|ペルソナ

  • ユーノス・300|ユーノス300

  • ユーノス・500|ユーノス500

  • マツダ・ランティス|ランティス

  • オートザム・レビュー|レビュー
    プレステージサルーン

  • マツダ・MS-8|MS-8

  • マツダ・MS-9|MS-9

  • マツダ・センティア|センティア

  • マツダ・ミレーニア|ミレーニア(ユーノス800)

  • マツダ・ルーチェ|ルーチェ(パーソナル&ラグジュアリーカー。ロータリーエンジン搭載車の海外呼称はRX-4。)

  • マツダ・ロードペーサー|ロードペーサー(豪ホールデン (自動車)|ホールデン社製のボディにREを搭載)


    [ クーペ/コンバーチブル ]


  • オートザム・AZ-3|オートザムAZ-3

  • マツダ・MX-6|MX-6

  • マツダ・エチュード|エチュード

  • マツダ・コスモ|コスモシリーズ
    コスモ・コスモスポーツ・コスモAP・コスモL・ユーノスコスモ
    マツダ初のロータリーエンジン搭載車。スポーツは特撮TV番組、「帰ってきたウルトラマン」にて使用。また、ユーノスコスモは量産車として世界で唯一、3ローターエンジンを搭載した高級パーソナルクーペ)

  • マツダ・RX-7|サバンナRX-7、RX-7(ロータリーエンジン専用スポーツカー。トヨタ・2000GT同様、北米の法規に適合させるため、初代からリトラクタブル・ヘッドライトを使用している)

  • ユーノス・プレッソ|ユーノスプレッソ


    [ SUV/クロスカントリー/ピックアップトラック ]


  • マツダ・プロシード|プロシード/Bシリーズ(プロシードとBシリーズは小型ピックアップトラック。OEMとしてフォードブランドでも販売。)

  • マツダ・プロシードマービー|プロシードマービー(プロシードベースのSUV。乗用車ベースのマツダ・トリビュート|トリビュートの登場に伴い、一代限りの生産に終わった。)

  • マツダ・プロシードレバンテ|プロシードレバンテ(スズキ・エスクードのOEM車)

  • マツダ・ロータリーピックアップ(輸出専用車)


    [ ステーションワゴン ]


  • マツダ・カペラ|カペラワゴン

  • マツダ・サバンナ|サバンナスポーツワゴン

  • マツダ・ファミリア|ファミリアワゴン


    [ ミニバン/1BOX ]


  • マツダ・ボンゴフレンディ|ボンゴフレンディ

  • ユーノス・カーゴ|ユーノスカーゴ


    [ コンパクトカー/2BOX ]


  • マツダ・MS-6|MS-6

  • マツダ・ファミリア#9代目(1998年〜2003年)|ファミリア S-ワゴン

  • マツダ・ファミリアアスティナ|ファミリアアスティナ

  • ユーノス・100|ユーノス100

  • マツダ・ランティス|ランティスクーペ


    [ 軽自動車 ]


  • オートザム・AZ-1

  • マツダ・R360クーペ|R360クーペ  オールアルミのV型エンジン|Vツインエンジンをはじめ、ラバースプリング、マグネシウム、プラスチックなどの非鉄部材の多用により軽量化を図った。現在のシティコミューターのようなコンセプトで、早すぎた登場とも言える。

  • マツダ・キャロル|キャロル360/600軽自動車ながら、オールアルミの4気筒エンジン、4ドアボディーなど破格のスペックを誇ったがマーケットの理解は得られず、販売面では苦戦。600は小型車版。

  • マツダ・シャンテ|シャンテ

  • マツダ・ポーター|ポーター

  • マツダ・ラピュタ|ラピュタ(スズキからのOEMによる車種。スズキ・Kei|Keiと共通)


    [ 商用車 ]


  • B1500

  • マツダ・B360|B360

  • CA型4輪トラック

  • CTD型ダンプカー

  • CTL型3輪トラック

  • DUA型マイクロバス

  • マツダ・ロンパー|D1100/D1500/D2000

  • DB型3輪トラック

  • DC型3輪トラック

  • E2000

  • E2300

  • E2500

  • GA型3輪トラック

  • GB型3輪トラック

  • GCZ型3輪トラック

  • HB型3輪トラック

  • マツダ・K360|K360 - 軽オート三輪。R-360クーペと共通のVツインエンジンを搭載。ダイハツミゼットの対抗車種。愛称はケサブロー。

  • KC36型3輪トラック

  • LB型3輪トラック

  • MRA型3輪トラック

  • PB型3輪乗用車

  • マツダ・T600|T600 - K360をスープアップした小型オート三輪。

  • マツダ・T1500|T1100/T1500

  • マツダ・T2000|T1500/T2000 - オート三輪。1960年代にダイハツ工業と市場を二分した名車。

  • TCS型3輪トラック

  • VB型3輪ライトバン

  • マツダ・クラフト|クラフト

  • マツダ・ボクサー|ボクサー

  • マツダ・ロンパー|ロンパー
    バス


  • ライトバス

  • マツダ・パークウェイ|パークウェイ
    タクシー


  • マツダ・カスタムキャブ|カスタムキャブ(タクシー専用車)

  • マツダ・カペラ|カペラ

  • マツダ・ルーチェ|ルーチェ



    過去の販売製品(自動車以外)


  • コルク(東洋コルク工業時代)

  • さく岩機(マツダ株式会社に社名変更後も一貫して「TOYOさく岩機」のブランドで展開。1989年に子会社のマツダアステック株式会社に事業移管後、同社を2002年にスウェーデンのサンドビックグループに営業譲渡し撤退。)

  • 工作機械(1929年の東洋工業時代に製造を始め、1989年に事業を子会社のトーヨーエイテック株式会社に移管。)



    [海外向け車名解説]

    仕向け地により、日本国内とは異なる車名となる場合がある。

  • - MPV

  • - アテンザ

  • - プレマシー

  • - アクセラ

  • - デミオ 「121」の後継で、本来「1」となるところ、「I」(アイ)と紛らわしいため「2」とした。

  • - ユーノス800/ミレーニア 日本国内では「9」系(ルーチェ/センティア)の下位で「8」。

  • - ユーノス500 日本国内では「6」系(クロノス他)の中で唯一小振りなため、「5」とされた。

  • - ロードスター

  • - ルーチェ/センティア

  • - カペラ/クロノス

  • - ファミリア

  • - アスティナ

  • - ランティス

  • - フォード・フェスティバ

  • - レビュー

  • - デミオ

  • - コスモ

  • - カペラロータリー

  • - サバンナロータリー

  • - ルーチェロータリー

  • - コスモAP

  • - プロシード フォード製V6・V8搭載車もある。

  • Eシリーズ - ボンゴ/ボンゴ ブローニイ

  • Tシリーズ - タイタン




    フォードからの委託生産車種


  • フォード・レンジャー(プロシード)




    フォードへの委託生産車種


  • フォード・エスケープ(トリビュート)

  • マーキュリー・マリナー(トリビュート)

  • マーキュリー・マリナーハイブリッド(トリビュート・ハイブリッド)

  • フォード・テルスター(カペラ/クロノス)

  • フォード・テルスターII(カペラ)

  • フォード・レーザー(ファミリア)

  • フォード・フェスティバ(121)

  • フォード・フェスティバミニワゴン(デミオ)

  • フォード・イクシオン(プレマシー)

  • フォード・スペクトロン(ボンゴワゴン/ユーノスカーゴワゴン)

  • フォード・J80(ボンゴトラック・バン/ユーノスカーゴトラック・バン)

  • フォード・J100(ボンゴブローニイトラック・バン)

  • フォード・フリーダ(ボンゴフレンディ) 他




    起亜自動車への委託生産車種


  • キア・コンコード(カペラ)

  • キア・セレス(ボンゴワゴン、トラック)

  • キア・ベスタ(ボンゴワゴン)

  • キア・ワイドボンゴ(ボンゴトラック)

  • キア・ブリサ(ファミリア)

  • キア・ポテンシャ(ルーチェ)

  • キア・タイタン(タイタン)

  • キア・エンタープライズ(センティア)

  • キア・ボクサー(ボクサー)

  • キア・キャピタル(ファミリア) 他



    販売チャンネル


  • マツダ店(メイン店舗。商用車?乗用車の全車種を販売している)

  • マツダアンフィニ店(元マツダオート店。乗用車を中心としたディーラーとして登場し、1991年11月アンフィニ店に改称、1996年4月にはユーノス店との統合と同時にマツダの名を冠しマツダアンフィニ店となる。アンフィニ店時代はRX-7やMS-8などの専売車種があったが、現在はマツダ店同様全車種扱いである。)

  • マツダオートザム店(元々は軽自動車?小型車を中心としたチャンネルで1989年にオートザム店として開設。経営母体は町の整備工場や中古車ディーラーが多かった。1998年から一定の基準を満たす店舗にマツダの名を冠し現在の名称に変更。軽自動車?小型車のみならずアクセラ?プレマシー?MPVなども取り扱うようになった。)

  • マツダ中販株式会社(業者向け中古車販売。元はユーザー向け販売も行っていたが、現在はオークション出品など、業者向け営業に特化。)※その他のチャンネル

  • マツダモータース店 - 経営母体は主に町の整備工場で、他チャンネルへの統合等は行われなかった。マツダ販売会社グループには属しておらず、実質淘汰された格好。

  • ユーノス店(1989年9月開設。高級車志向のチャンネル。ロードスターやコスモなどの名車を生んだほかシトロエン車の販売も行ったが、販売が伸び悩み1996年4月アンフィニ店に統合。チャンネル廃止。)

  • オートラマ店(フォード・モーター|フォードブランド車のチャンネルとして、レーザーやテルスターなどマツダ車の姉妹車を数多く販売。現在は「フォード店」として営業中であり、マツダ製の車種は扱っていない。)現在は、地方ディーラーの広域経営統合など販売網の再編成が行われ、「マツダ店」「マツダアンフィニ店」「マツダオートザム店」の体制になっている。なお、バブル経済期に展開していたマツダの販売網5チャンネル化については、詳細はリンク先を参照の事。


    [ 国内販売での企業努力 ]


  • マツダは過去に、1973年後半に勃発した第一次オイルショックでガソリン価格の高騰と国民全体に省エネルギー志向が強まった影響で、燃費性能の良くないロータリーエンジンが販売不振に陥った「ロータリーショック」と、バブル経済絶頂期の90年代前半にはブランドイメージの向上を狙い、従来の「マツダ」ブランドの他に「ユーノス」「アンフィニ」「オートザム」の独自ブランドと販売網を新たに設けて販売網を拡大したもののバブル経済崩壊後の景気低迷の影響で結果的に失敗に終わり、マツダの低迷期が長く続いていた汚名返上と国内販売拡大を図る目的で、他メーカーに対抗して「大幅値引き」や「安売り広告」による販売拡大策を推し進めていたが、結果的にマツダの低迷をさらに拍車を掛ける結果となり、マツダ車の代替時に他メーァ +!<%G%#!<%i!<$G$Nマツダ車の下取り価格に大幅な下落が生じ、マツダ車ユーザーやマツダ車ファンからマツダに対する信頼低下を招いたり、自動車ファンや自動車業界内で存在していた「マツダ地獄」の比喩に代表されるマツダのブランドイメージ低下に拍車を掛ける悪循環に陥っていた。

  • しかし、フォード傘下入り以降から、ユーザーに「魅力的かつ他社競合車種とのキャラクターの違いがハッキリしている」商品を揃える「ZOOM-ZOOM」のキャッチコピーに代表されるイメージアップ広告の積極化、マツダのブランドイメージ向上のために絶対的な販売台数を減らしてでも大幅値引きに頼る販売を段階的に止めてきた、などのメーカーとディーラーとが一体となって取り組んで来た企業努力の結果、現在では「マツダ地獄」の比喩は過去に存在していた比喩となりつつあり、近年のマツダ車の下取り価格は競合する他メーカー車と比べて遜色ないレベルになっている。



    キャッチコピー


  • クルマの主流をかえるロータリーのマツダ(1970年代)

  • 個性あざやかに 品質のマツダ(1980年代)

  • 新しいマツダ、始めます。(1994年〜1996年)

  • For mobility pleasure(1994年〜1996年)

  • 使えるクルマ・楽しいクルマ。That`s Mazda(1990年代後半)

  • 心を動かす新発想(2000年代前半)

  • ZOOM-ZOOM -もっと乗りたくなる。-(2002年頃-現在)
    このZOOM-ZOOMは英語で自動車が爽快に走る様子を表した言葉で、日本語では?ブーンブーン?にあたる。空耳では「スーンスーン」とも聞こえることから、爽快感を打ち出すねらいもあるとみられる。



    開発・生産拠点




    [本社]


  • 本社機能(広島県 安芸郡 (広島県)|安芸郡 府中町)
    開発センター
    本社工場

  • ロータリー工房

  • マツダミュージアム


    [ 開発専門 ]


  • マツダR&Dセンター(神奈川県 横浜市 神奈川区)

  • 三次自動車試験場(広島県 三次市)1965年6月開設, 1,667千m2

  • MINEサーキット#美祢自動車試験場|美祢自動車試験場(山口県 美祢市)2006年5月18日開所式

  • 北海道剣淵試験場(北海道 上川郡 (天塩国)|上川郡 剣淵町)1990年1月開設, 4,700千m2

  • 北海道中札内試験場(北海道 河西郡 中札内村)2002年1月開設, 260千m2


    [生産機能]




    [工場概要]
    source:Mazda in Brief 2004


    [物流拠点・国内港]

    苫小牧市|苫小牧、小名浜、千葉市|千葉、碧南市|衣浦、堺市|堺、瀬野川町|瀬野川、防府市|防府、多度津市|多度津、須恵、東郷(福井市)


    [ 他社への委託 ]


  • プレス工業株式会社尾道工場(広島県尾道市):ボンゴシリーズ、タイタンダッシュの生産を委託

  • (過去)「株式会社クラタ」(現・株式会社キーレックス)(広島市):AZ-1、キャロル(2代目・3代目)の生産を委託



    モータースポーツへの取り組み
    ※現在はWRCとル・マンには参戦していない。
    ロータリーエンジン搭載車でのエントリーが主体であるが、過去にファミリアでWRCに参戦、ランティスでJTCCに参戦しているが、目立った成績は残していない。国内レースは主要3大メーカーの寡占状態なので、海外での成績が大半であるが、それも2000年以降は日本法人のマツダとしては、全くモータースポーツにはエントリーしておらず、事実上モータースポーツへの参戦を停止している状態であるが、アメリカやオーストラリアの現地法人においては、依然活発なモータースポーツ活動がなされている。2000年ごろまでは、マツダスピードでレース活動をしていたが、レース活動の終了をもって、マツダスピードはブランド名だけ残して事実上解散してしまい、ノウハウと人材は社外に放散され失われた。* マツダ・サバンナ|サバンナ $B%^%D%@・サバンナ|RX-3が国内レースで活躍。日産・スカイライン|スカイラインの連勝記録をストップ。

  • ル・マン24時間レース(当初はマツダオート東京が母体となったマツダスピードがディーラーチームとして参戦。ロータリーエンジン搭載車として、また日本車として唯一の総合優勝)

  • サバンナRX-7がIMSAで通算100勝を達成

  • スパ・フランコルシャン24時間耐久レースでサバンナRX-7が日本車初の総合優勝

  • オーストラリアでのバサースト12時間耐久レースで、FD3Sが1992年から94年まで、3年連続でクラス優勝。(現地法人)

  • ロードスター、RX-8のワンメイクレース主催

  • ファミリアの世界ラリー選手権|世界ラリー選手権(WRC)への参戦。87年スウェディッシュ、88年スウェディッシュ、ニュージーランド優勝。

  • マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカはアメリカ合衆国のカリフォルニア州モントレーにあるサーキット。マツダが筆頭スポンサーであるため、その名が冠されており、同社における新型車の関連イベントなどにも使用されている。

  • 2005年クラージュ(Courage) C65 LMP2 車をでのレースに参戦。20B型3ローターエンジンを搭載。

  • 2004年イギリス|英国から行われている女性ドライバーによる年間シリーズは、マツダ・RX-8|RX-8のワンメイクシリーズである。

  • 2006年より、アメリカ合衆国|アメリカのチャンプカー・ワールドシリーズの下位カテゴリーである、チャンプカー・アトランティックシリーズ(フォーミュラカーレースのフォーミュラ3|F3に相当するカテゴリー)にエンジンを供給するコスワースに出資し、マツダエンジンとしてのバッジネームを取得。シリーズ名にも「チャンプカー・アトランティック・パワード・バイ・マツダ」の名が冠せられている。

  • 2008年のデイトナ24時間レースのGTクラスでRX-8がクラス優勝を果たした。(現地法人)


    [レース車両]


  • マツダRX-7 252i

  • マツダRX-7 253

  • マツダRX-7 254

  • マツダ717C

  • マツダ727C

  • マツダ737C

  • マツダ・757|マツダ757

  • マツダ・767|マツダ767(767B)

  • マツダ・787|マツダ787(787B)

  • マツダMX-R01

  • マツダRX-792P
    etc



    関連会社


  • 倉敷化工株式会社(倉敷市)

  • 株式会社サンフレッチェ広島(広島市西区 (広島市)|西区。但し2007年以降はデオデオが筆頭、マツダは次席株主)

  • トーヨーエイテック株式会社(広島市南区 (広島市)|南区)

  • 株式会社日本クライメイトシステムズ(東広島市)

  • マイクロテクノ株式会社(東広島市)

  • 株式会社マツダE&T(広島市南区)

  • マツダエース株式会社(安芸郡府中町)

  • 株式会社マツダオートザム(安芸郡府中町)

  • マツダ中販株式会社(広島市南区)

  • 株式会社マツダプロセシング中国(広島市安芸区)

  • マロックス株式会社(広島市南区)

  • ヨシワ工業株式会社(安芸郡海田町)



    イベント、提供している(いた)テレビ・ラジオ番組


  • MTBマツダカップ

  • 土曜ワイド劇場(1980年代を中心に提供)

  • 月曜ロードショー

  • NTV紅白歌のベストテン

  • 新春かくし芸大会(2001年以降ネット2部初頭)

  • 防府読売マラソン

  • ミズノクラシック|マツダジャパンクラシック

  • 別府大分毎日マラソン

  • ニュースハイライト|JRNニュースハイライト

  • 財津一郎・男の純情

  • 山城新伍の新伍一番勝負

  • ほっと一息名取裕子|裕子です

  • はなまるマーケット

  • ウンナンのホントコ!

  • うたばん

  • みのもんたのウィークエンドをつかまえろ

  • MAZDA SUPER SUNDAY→MAZDA MUSIC JAM

  • TBS木曜9時枠の連続ドラマ

  • 金曜ロードショー

  • 金曜ドラマ(2003年4月〜2005年3月まで提供)

  • NEWS23|筑紫哲也NEWS23

  • 情熱大陸

  • ニュースJAPAN

  • MAZDAミュージックビークル

  • さんまのSUPERからくりTV

  • RCCカープナイター(唯一ラジオのナイター中継内で提供しているは中国放送|RCCだけ)

  • おーわらナイト

  • オールスターゲーム (日本プロ野球)|プロ野球オールスターゲーム(2008年の冠スポンサー)



    コマーシャルキャラクター

    ''現在・過去も含む''

  • 唐沢寿明

  • 伊東美咲

  • 長瀬智也

  • 玉木宏

  • 小雪 (女優)|小雪

  • 田中美保 (モデル)|田中美保

  • 山本梓

  • 戸田恵梨香
    など



    主な関連項目





    外部リンク


  • マツダ株式会社

  • マツダスピード

  • マツダE&T

  • マツダオートリース

  • マツダレンタカー

  • ウェブチューンファクトリー

  • Cargirl.jp

  • Mazda Raceway Laguna Seca(Monterey, California)

  • トーヨーエイテック

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by アノアノア at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車メーカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年06月30日

    自動車[シトロエン]

    世界の自動車メーカーシトロエン


    シトロエン (Citro?n) は、フランスの自動車製造会社である。ルノー、プジョーと並ぶフランスの三大自動車ブランドの一つである。世界でもいち早く前輪駆動方式を本格採用したメーカーであり、また油圧併用窒素ガスを用いた独自のサスペンション機構「ハイドロニューマチック(イドロプヌマティク) hydropneumatique」を開発・採用するなど、多くの面で独自性の強い自動車メーカーとして広く知られる。フランス語の発音にもっとも近いカタカナ書きは、"シトローエン"(シィトローエン)であるが、この項目では日本で一般に用いられている「シトロエン」の呼称を用いる。



    概要

    第一次世界大戦終結直後の1919年、ダブルヘリカルギア(やまば歯車)の製造と大砲用の砲弾製造で財を成したアンドレ・シトロエン(Andre Citroen)が、ヨーロッパにおける自動車の大衆化を目指し、フランス版フォード・モーター|フォードとなるべく設立した企業である。フランスの自動車メーカーの中では後発組と言える存在であった。最初の工場は軍需工場を転用したパリのセーヌ川・ジャヴェル河岸の工場で、現在その場所は「アンドレ・シトロエン公園」となっている。シトロエンのエンブレムは2つのクサビ形を重ねたもので「ダブルヘリカルギア」または「ダブル・シェブロン」と呼ばれる。これはアンドレ・シトロエンが経営者としてスタートするきっかけになった歯車「シェブロン・ギア(やまば歯車)」の歯形をモチーフとしたものである。但し、上部と押 シトロエンの加入していたフランスのフリーメーソン|フリーメイスンのシンボル‘コンパスと折れ定規'との関連を言及されるようにもなってきている。流れ作業方式による小型車・中型車の大量生産で成功を収め急成長したが、やがてアンドレ・シトロエンのワンマン経営による過剰投資が祟って1934年に経営危機に陥り、この際タイヤメーカーのミシュランの系列会社となる。第二次世界大戦後も先鋭的な自動車開発で世界的に注目される存在であり続け、1960年代にはイタリアのフィアットやマセラティなどとも提携するが、1970年代には再び経営困難な状況となり、結局1976年からは同じフランスの競合自動車会社プジョーに主導される形で、企業グループPSA・プジョーシトロエンの傘下となっている。それに伴いプラットフォーム (自動車)|ァ W%i%C%H%U%)!<%`$d%(%s%8%s$r%W%8%g!<

    [ 先進技術 ]

    新しい技術をいち早く採用することで知られ、それは「10年進んだ車を20年間作り続ける」と形容された。創業にあたり、ジュール・サロモンの設計で1919年に発売されたタイプAはシトロエン最初の生産車であると共に、ヨーロッパで最初の大量生産方式によって製造された自動車であった。1925年に発表されたB12はヨーロッパで最初のオール鋼製ボディを持った大量生産車である。また、現代では当然となった4輪ブレーキもこの時に導入した。1932年にはモノピースという溶接による一体ボディ構造の8、10、15を発表する。このように、1930年代前半までのシトロエンは、アメリカ合衆国で実用化された進歩的自動車技術をいち早く咀嚼してヨーロッパに導入するメーカーであった。そのベクトルを転じ、強烈な独自性を発揮するようになったのは1933年にヴォワザン社出身の技術者アンドレ・ルフェーブルが入社してからである。彼の主導による設計で\xA1 !"シトロエンにおいて一大転機となる車、「7CV」・通称「トラクシオン・アバン」が開発される。前輪駆動 (FF) やモノコック|モノコック・ボディ、トーションバー・スプリングなどをいち早く採用したこの車は、1934年に発表されると大きな反響を呼び、シトロエンの「先進性」イメージを市場に印象づけた最初の車となった。もっともトラクシオン・アバンの短期開発と新工場建設は、会社の経営破綻とアンドレ・シトロエンの経営撤退を招いた。1955年には、金属スプリングの代わりに空気ばねとオイルを用いる独自のサスペンション「ハイドロニューマチック」を装備した シトロエン・DS|DS を発表。車高調整とダンパーに使われたオイルは、サスペンションだけに留まらずパワーステアリングやブレーキ、クラッチペダルレスのトランスミッショァ s$K$b;H$o$l$?!#$3$N!V10年進んだ車」は、果たしてその後「 (B20\xC7 /4V:n$jB3$1!W$i$l$?!#B>$K$b!VAv$kJ*CV!W!V%U%i%s%9$NL16q!W$H$^$G8@$o$l!"40年以上も生産されたユニークな経済車「シトロエン・2CV|2CV」をはじめ、ユニークで独創性に満ちた自動車を多数開発し、世に問うてきた。


    [ 広告 ]

    創業者のアンドレ・シトロエンは万事派手好きで、広告戦略にも意を砕いたことで知られる。1925年から1936年までの11年間エッフェル塔は「CITROËN」の文字で飾られた。この電飾文字は40km離れた場所からも視認でき、当時のエッフェル塔の代名詞でもあったという。また、飛行機でパリ上空に「Citroën」と描いたこともあった。ニューモデルを発表すると、同時に生産車の精巧なミニチュアカーを作り、将来の顧客である子供向けに販売した。当時のシトロエンの威勢は頂点を極めており、「赤ん坊が最初に覚える言葉はパパ、ママ、そしてシトロエンだ」と豪語する程であった。広告においては戦後もセンスに優れた活動を展開し、1965年ルーブル美術館主催のアート展が開かれるなど、芸術的にも評価を受けている。



    車種一覧




    [ 現行販売車種 ]


  • シトロエン・C1|C1 - PSAとトヨタ自動車との共同開発車種でチェコ|チェコ共和国の合弁工場トヨタ・プジョー・シトロエン・オートモービル|TPCAで生産される。

  • シトロエン・C2|C2
    C2 China - C2と名乗っているが、実際はプジョー・206にシトロエンのマスクをつけたもの。中華人民共和国市場専用車。

  • シトロエン・C3|C3
    C3プルリエル - C3から派生モデルとして登場。しかし外装については、最初から設計するほどこだわっている。

  • シトロエン・C4|C4 - 2004欧州カー・オブ・ザ・イヤー2位、2005RJCカー・オブ・ザ・イヤーインポート大賞、2006ワールド・カー・デザイン・オブ・ザ・イヤー大賞などを受賞。
    Cトリオンフ - C4のノッチバック・セダンである。元々は中華人民共和国市場向けに開発された車種であるが、欧州の一部地域でも販売が計画されている。

  • シトロエン・C4ピカソ|C4ピカソ - C4を基にしたMPV(多用途車)である。日本で販売されるピカソは7人乗りで、欧州ではグランピカソという名で販売されている(欧州では5人乗りをC4ピカソとして販売)。

  • シトロエン・C5|C5 - セダンとブレーク(ワゴン)をラインナップ。C6と同じく油圧式サスペンション"ハイドラクティブIII"を搭載している。

  • シトロエン・C6|C6 - フラグシップセダン。油圧式サスペンション"ハイドラクティブIIIプラス"(C5のIIIの進化版)を搭載。日本にはV6 3.0リッターエンジンにアイシン精機|アイシン・エィ・ダブリュ製の6速ATが組み合わされたモデルのみ導入されている。

  • ユーロバン|C8

  • シトロエン・クサラ|クサラピカソ - クサラを基にしたMPVである。

  • シトロエン・ベルランゴ|ベルランゴ

  • シトロエン・Cクロッサー|Cクロッサー - 三菱自動車工業からOEM供給を受けるSUV。三菱・アウトランダー|アウトランダーがベース。


    [ 近年販売された車両 ]

    (1948年以降発表モデル)

  • シトロエン・DS|ID

  • シトロエン・DS|DS

  • シトロエン・2CV|2CV
    2CV AU - 2CVを基にしたバンタイプ-その後モデル名は AZU・AKに変更
    トラックタイプ、軍用などバリエーションが豊富

  • シトロエン・アミ6|アミ6

  • シトロエン・アミ6|アミ6

  • シトロエン・ディアーヌ|ディアーヌ
    アカディアーヌ - バンタイプ

  • シトロエン・メアリ|メアリ - ジープタイプの多目的車

  • シトロエン・SM|SM

  • シトロエン・GS|GS
    シトロエン・GS|GSビ・ロトール - ロータリーエンジン搭載
    シトロエン・GS#GSA|GSA - ハッチバック化されたGSの進化モデル

  • シトロエン・CX|CX

  • シトロエン・BX|BX

  • シトロエン・ビザ|ビザ

  • シトロエン・LN|LN

  • シトロエン・LNA|LNA

  • シトロエン・アクセル|アクセル - ルーマニアにおいてOltcit(オルチット)名で生産されたモデル。

  • シトロエン・サクソ|サクソ - 日本では当初「シャンソン」の名で販売された。

  • シトロエン・AX|AX

  • シトロエン・XM|XM

  • シトロエン・ZX|ZX

  • シトロエン・エグザンティア|エグザンティア

  • シトロエン・クサラ|クサラ

  • ユーロバン|エバシオン


    [ クラッシック・シトロエン ]

    (1947年以前発表モデル)初期シトロエンの車名について:C4以前のモデルでは、タイプA、B、Cはシャーシの形式を表しており車名ではない。当時の広告を見ると、シトロエンの10馬力でトーピード式、シトロエンの5馬力で3人乗り、シトロエンの5馬力でカブリオレ、などの名称で販売されていた。また、馬力の記載は英語風に10HP、5HPである。タイプBがエンジンを拡大し多様化していくとこの方法は通用しなくなり、C4とC6ではシャーシ名が車名となった。続くモデルはC7とは呼ばれず、ロザリーという車名で販売され課税馬力を併用した。トラクション・アバンで再び、7CV、11CV、15CVのように課税馬力が車名となった。

  • シトロエン・タイプA|Type A

  • シトロエン・タイプB|Type B
    シトロエン・B2|B2 - B2caddy・B10・B12・B14・B15・B18

  • シトロエン・タイプC|Type C
    シトロエン・5CV|5CV - C2・C3

  • シトロエン・c4|c4 - 1928年〜1934年

  • シトロエン・c6|c6 - 1928年〜1933年

  • シトロエン・ロザリー|Rosalie(ロザリー(愛称))- 8CV・10CV・15CV・7UA

  • シトロエン・トラクシオン・アバン|Traction Avant(トラクシオン・アバン(愛称))- 7cv・11cv・15cv


    [ 貨物車・ミニバス ]


  • シトロエン・ハーフトラック

  • シトロエン・タイプ23|タイプ23

  • シトロエン・タイプ29|タイプ29

  • シトロエン・タイプ32|タイプ32

  • シトロエン・タイプ45|タイプ45

  • シトロエン・タイプ47|タイプ47 - バス (車両)|バス

  • シトロエン・タイプ55|タイプ55

  • シトロエン・タイプ60|タイプ60

  • シトロエン・タイプ350|タイプ350

  • シトロエン・タイプ450|タイプ450

  • シトロエン・タイプ500dI|タイプ500dI

  • シトロエン・タイプ530|タイプ530

  • シトロエン・タイプ600|タイプ600

  • シトロエン・タイプ700|タイプ700

  • シトロエン・タイプ800dI|タイプ800dI

  • シトロエン・180K|180K

  • B2 boulangere and normande

  • シトロエン・C15|C15 - 貨物自動車|トラック

  • シトロエン・C16|C16 - 貨物自動車|トラック

  • シトロエン・C25|C25

  • シトロエン・C35|C35

  • シトロエン・ダラト|Darat

  • シトロエン・FAF|FAF

  • シトロエン・フラットベッドトラック|flatbedトラック

  • シトロエン・ジャンパー|Jumper

  • シトロエン・ジャンピー|Jumpy

  • シトロエン・Hトラック|Hトラック


    [ 特殊車両 ]


  • シトロエン・M35|M35 - バンケルエンジンのモニター用試作車

  • AX Electric - 電気自動車

  • Saxo Electric - サクソを基にした電気自動車(量産車)である。



    脚注





    関連項目
    * ユーロNCAP

  • PSA・プジョーシトロエン

  • リジェ

  • TOTAL

  • ミシュラン

  • ナムコ (自動車)|ナムコ(:en:Namco (automobiles)|英語版) - ギリシャの自動車メーカー。2CVがベースのポニーを生産したことがある。

  • フランス車

  • モンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン。五大モーターショーのひとつ)

  • パリ・ダカール・ラリー

  • シトロエン・ジャポン

  • セゾングループ(新西武自動車販売)

  • ユーノス(かつて存在したマツダの販売チャンネル、シトロエンも扱っていた。)



    外部リンク


  • PSA・プジョーシトロエンのグローバルサイト(英語)

  • シトロエンのグローバルサイト(英語)

  • シトロエン・ジャポンの公式サイト(日本語)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by アノアノア at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 自動車メーカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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